年表05
835 空海が死ぬ(63歳)
836 第17次遣唐使が難波津を出る(5/14)が博多沖で暴風雨により失敗
836 常陸・八溝山系で金が発見される
----- 承和4年 5年 6年-----
837 第17次遣唐使が出発(7/22)するが五島で失敗
838 第17次遣唐使(これが最後の遣唐使となる。円仁も同乗)
838 円仁が博多を出発(6/17)、五島に着く(6/23)、揚子江河口に着く(7/2)、
彗星を見る(10/23)
838 新羅で貿易商・弓福が挙兵する
839 円仁が揚州から楚州に向かう(2/18)
839 弓福が王を倒し、祐徴太子をたてて神武王とする
----- 承和7年 8年 9年-----
840 円仁が五台山に着く(5/16)、長安へ出発(7/1。8/20着)
841 唐の商船が日本に来る。唐・新羅との貿易が始まる
841 新羅の弓福が反対派に暗殺される
841 在原業平17歳が右近衛将監になる?
842 『在唐記』〜円仁が長安でサンスクリット語を学び、日本語表記を考案したもの、仮名文字の原型となる
----- 承和10年 12年 14年-----
843 フランク王国が3つに分裂(仏独伊の原型ができる)
843 カロリング帝国(仏)では反乱が起こりはじめる
845 円仁が長安を出発(5/16)、洛陽着(6/1)揚州着(6/28)
845 『白氏文集』白居易。菅原道真が生まれる
847 円仁が楚州着(6/5)、松浦に到着(9/10)、博多着(9/19)仏典585部と両界曼陀羅図を持ち帰る
847 サラセン帝国第10代カリフ・ムタワッキルが即位。イランのゾロアスター教徒をほぼ壊滅させる
847 在原業平23歳が蔵人になる?〜三十六歌仙伝より
----- 嘉祥3年 仁寿3年 4年 天安2年-----
850 『大鏡』で扱う最初の年
853 円珍が唐に留学
854 円仁が天台座主になる
858 清和帝9歳が即位(〜876)
----- 貞観1年 2年 4年 5年-----
859 円珍が三井寺をつくる。石清水八幡宮がつくられる
860 雲仙岳の爆発
862 ロシアに王国ができる(但し伝説)
862 備前から京へ官米を運ぶ船がおそわれる
862 在原業平38歳が従五位上に昇進する
863 円仁が藤原良房邸で潅頂を行う
----- 貞観6年 7年 8年 11年
14年-----
864 円仁が死ぬ(1/14)。富士山が噴火する
865 在原業平41歳が右馬頭になる(3/9)
866 応天門が炎上する。反藤原派の伴善雄と紀豊城が、左大臣を追い落とすための放火とされ、追放される
866 円仁と最澄にはじめて大師号がおくられる
866 讃岐国戸籍帳に漢字と草仮名による文字が書かれる
869 『続日本後紀』が完成〜官修の史書で、833年から850年までの実録
872 紀貫之が生まれる〜正確ではない
872 惟喬親王29歳が病を理由に出家(7/11)
----- 貞観17年-----
875 中国で黄巣の乱(〜884)。唐が塩専売制にして、1斗10文の塩に100文の税をかけ110文で売っていた。
そこで塩密売人が現れ、唐朝を恨んだ。黄巣もその一人。乱のさなか、野望に燃える将軍達を見て詩人
曹松が「一将功なりて万骨枯る」という詩を作る
875 在原業平が藤原基経40歳を祝う歌をつくる
----- 元慶1年 2年 3年 4年 7年-----
877 歌人・伊勢が生まれる?〜939?
877 菅原道真32歳が式部少輔・文章博士に任命される
877 カロリング帝国内は地方勢力が分裂する
878 高岳親王がインドをめざすが、マレーで遭難する
879 黄巣が広州を奪い、唐朝に広州節度使の地位を要求し、拒否される
879 在原業平が『伊勢物語』を清書し、妻・伊勢に与える
880 在原業平56歳が死ぬ(5/28)
880 黄巣が長安を占拠し、国号を大斉と改め帝位につく
883 黄巣が唐に攻められ、長安を放棄
----- 仁和2年 3年 律令制の崩壊 藤原時代------
886 ブリュッサルトの戦い。カペー朝の祖ロベールがノルマンに対し防戦。兵力はロベール側200人、ノルマン
側は1隻50人で20隻。これがこの頃の平均的な戦い
887 藤原基経が関白になる
887 武徳殿松原の女房惨殺事件。皇居で、夜散歩していた女が鬼に殺されると正史三代実録に書かれる。
翌日、御門がけがれを忌み、諸寺の僧に読経を命じる
----- 寛平2年 3年 5年 6年 9年-----
890 菅原道真が讃岐国司の任期を終え帰京し宇多帝の信任を得る
891 伊勢が『伊勢物語』のうち自分に関する段をぬいて公表
893 この頃『竹取物語』
894 遣唐使を停止。遣唐大使に任命された菅原道真の反対による
897 醍醐天皇が即位し、藤原家を抑え親政する
897 この頃、鬼の話が好まれる
----- 昌泰2年 3年----
899 小野道風が生まれる〜書家
899 菅原道真が左大臣に、藤原時平が右大臣に任命される(1/1)
900 この頃西欧で、聖職者による略奪、襲撃が日常茶飯事的になる。教皇ベネデイクトゥス9世は暴動で指名
権を買い取り、のちに教皇位を売り、次代はこれを買う
----- 延喜1年 2年 3年-----
901 右大臣菅原道真が太宰権帥に左遷される(1/25)
901 藤原時平が宇佐奉幣使を太宰府に立ち寄らせる(7)
901 『日本三代実録』
902 荘園整理令。貴族・寺院の大土地所有をおさえ、地方官に権限を与える
903 菅原道真が太宰府で死ぬ(59歳)
----- 延喜4年 5年 7年 8年------
904 日本書紀の講筵が行われる
905 『古今和歌集』撰進の勅命が、醍醐帝より降る(4/18)
905 『延喜式』『延喜格』
907 唐が滅亡し、五代十国時代となる
907 この頃の日本の総耕地面積は86万2千町歩
908 この頃『古今和歌集』が完成か。万葉集のような新鮮味を欠く。しかし、かな文字が普及し、以後の識字率
が向上する
----- 延喜17年 18年 20年 21年-----
917 紀貫之が従五位下に昇進(1/7。46歳)加賀介に任命される
918 朝鮮で高麗朝の成立
920 カンボジアのアンコール朝が、首都アンコール・トムを造る
921 空海に大師号がおくられる
----- 延長4年 5年------
926 渤海が契丹に滅ぼされる
927 延喜式を完成(当時の制度を詳細に記録)。第9、10巻は神名帳で、官幣・国幣の神社は「国立の神社」
であり全国で2861カ所。この神名帳に載っている神社を式内社という。1945年までの神社の社格の基本
となる
----- 延長7年 8年 承平1年-------
929 ジャワにクディリ朝ができる
930 紀貫之が土佐守に任じられ赴任
931 瀬戸内海で海賊が横行しはじめる
931 『和名抄』(〜938)、源順。内容は人口、田畑面積、語源研究など。源順は大津で万葉集の訓をとる?
----- 承平4年 5年 6年 7年-----
934 紀貫之が任地土佐を出発(12/21)、翌2/16帰京
935 平将門の乱
936 高麗が新羅を滅ぼす
936 朝廷が瀬戸内海賊の懐柔にのりだす
937 富士山が噴火する
937 比叡山と南都が宗論を興福寺でおこなう
----- 天慶2年 5年 6年-----
939 伊予の地方官・藤原純友が海賊を率い、畿内から日向までの広域で反乱する(〜941)。源平の武力が芽
生える
939 平将門が新皇と称する
942 菅原道真の鎮魂のため北野天満宮を創建
943 紀貫之が従五位上に昇進
----- 天暦2年 4年 5年-----
948 紀貫之が木工権頭に昇任
950 この頃『伊勢物語』、『竹取物語』ができる
951 片仮名の最古の資料〜醍醐寺五重塔の落書き
951 村上帝が『後撰集』の編纂を勅命、撰和歌所の設置
----- 天徳2年 4年 応和2年 3年-----
958 この頃から皇朝十二銭が消滅し、中国貨幣が使われる
960 中国で宋が建国
960 百歌集の創始〜『曾丹集』好忠
962 神聖ローマ帝国の成立
963 清涼殿で叡山と南都の宗論、仏性の有無が論点で、これ以降、叡山が優位にたつ
----- 康保3年 天禄2年 3年 貞元2年 天元1
-----
966 藤原道長が生まれる(〜1027)。小野道風が死ぬ。清少納言が生まれる?
970 紫式部がうまれる?
971 性空上人が出家する〜橘善根の子で、書写山を開く
972 この年の後に『蜻蛉日記』〜道綱母、藤原兼家の妻。紫式部の弟・惟規(のぶのり)が誕生
977 宋が百科事典『太平御覧』をつくる
978 和泉式部がうまれる?
----- 寛和1年 永延1年-----
985 『往生要集』源信〜藤原道長が愛読し、浄土思想が普及する
985 フランスのユーグ・カペーが兵士1600人を集め、他の貴族が恐怖に陥る。これは当時では空前の
規模だった
987 石山寺が朝廷に寺領内での殺生禁断を願い出る
990 紫式部の夫になる藤原宣孝(のぶたか)が筑前守になる
----- 正暦4年 6年 長徳2年 4年-----
993 中国で均産一揆(〜995)
995 この頃、藤原氏の全盛(道長の時代)。『枕草子』清少納言
996 『清海曼陀羅』、紫式部の父・藤原為時(ためとき)が越前の守になる、秋に紫式部も越前に行く
996 伊周、隆家の従者が花山法皇を射る
996 和泉式部が橘道貞と結婚
998 『御堂関白日記』1021年までの藤原道長の日記
998 紫式部が越前から帰京し宣孝と結婚
999 紫式部に賢子(けんし)が誕生。藤原道長の娘彰子が入内
----- 長保2年 3年-----
1000 この頃、アーサー王物語。この頃、ノルマン人が北アメリカに至る
1000 藤原道長の娘定子が中宮になる(2)、彰子は皇后になる
1001 清少納言が宮仕えを辞去
1001 紫式部の夫・宣孝が死亡、この頃から『源氏物語』を執筆開始か
------ 寛弘2年 4年 5年 7年----
1005 『拾遺和歌集』花山院、3番目の勅撰和歌集
1005 紫式部が中宮彰子に出仕
1007 『和泉式部日記』和泉式部
1007 『源氏物語』紫式部。性空上人が死ぬ(96歳)
1008 菅原孝標の娘が生まれる(〜1058以降。死亡年は不明)
1008 中宮彰子が敦成親王を生む(9/13)。『源氏物語』が宮中で好評で、清書と製本が進む
1008 パリ周辺は小勢力が乱立
1009 和泉式部が中宮彰子に出仕
1010 ベトナムに李朝ができる(〜1225)
------ 長和2年 5年-----
1013 『和漢朗詠集』藤原公任編
1013 紫式部が宮中を去り、『紫式部集』を編集か
1014 紫式部が死亡(45歳。他説では1019年以降も生存)
1016 英国王位が有力者による選挙制になる。この頃、北海沿岸の各地域はノルマン人が領有
------ 寛仁1年 3年 4年 5年-----
1017 菅原孝標が上総介となる
1019 満州の女真族が50余隻で壱岐、対馬、北九州を襲う
1020 菅原孝標が上総の国府をたつ
1020 この頃欧州では、司祭の地位はお金で売買され、教皇以下「聖なる悪魔」と評される聖職者さえ出る
1021 菅原孝標の娘が源氏50余巻をもらう
1021 源頼光が死ぬ(74歳)〜『酒呑童子』の主人公
------ 万寿2年 3年 4年-----
1025 『大鏡』で扱われる最後の年。これ以降は『今鏡』
1025 欧州では僧院が巡礼道路を開発し、救護所を設けることで、道路事情がゆるやかに良くなる
1026 平季基が関白藤原頼道に島津荘を寄進
1027 藤原道長が死ぬ〜『栄花物語』はこの年までを扱う
------ 長元4年 5年 6年 長久1年 2年-----
1031 上総介・平忠常が乱を起こし、源頼信が討伐する
1032 菅原孝標が常陸介となる。娘は京に残る
1033 ギリシア、イタリア、英仏で大凶作
1040 菅原孝標の娘が橘俊通の後妻となる(33歳)
1041 1054までの間に、北宋の職人畢昇が活字印刷を発明する
----- 寛徳1年 永徳1年 2年 6年-----
1044 ビルマにパガン朝(アノーヤター王)ができる
1047 北宋の范仲淹が『岳陽楼記』で「先憂後楽」の詩を読む
1051 前九年の役。源頼義と八幡太郎義家が阿部一族を討伐。清和源氏が関東の棟梁になる
------ 永承7年 天喜2年 4年 5年------
1052 末世思想によるとこの年が末法に入る、浄土思想の普及
1052 藤原頼通が宇治平等院鳳凰堂を創る〜もとは藤原道長の別荘として建てられた。
宇治平等院鳳凰堂に阿弥陀像が安置される
1054 カニ座星雲の超新星爆発
1054 キリスト教会が東西に分裂
1056 前9年の役(〜1062)朝廷と阿部一族の戦い。朝廷は苦戦。実際に戦った源氏は関東以北に勢力を固め
る。阿部のあとを清原家に継がせる
1057 橘俊通が信濃守となり単身赴任する、菅原孝標娘(50歳)は京に残る
------- 康平1年 2年 6年 治暦2年------
1058 橘俊通が死ぬ
1059 『更級日記』の最後の記事〜菅原孝標娘のその後は不明
1063 スペイン再征服の戦士たちに、教会が贖宥を与える。実際は神でなく聴聞僧が「汝を許す」と宣言する
1066 ノルマン人が北フランスを基点に英国を征服し、ノルマンジー公が即位(12/25)〜ノルマン朝
1066 ノルマン人がシチリア王国、キエフ王国も築く。西欧各国はノルマンに備えるために王と騎士が主従関係
を結び、封建制が芽生える
------ 治暦4年 延久2年 3年 院政の時代------
1068 後三条天皇が即位し、摂関政治からの脱却を図る。在位4年で譲位し、上皇となる。以後1192まで院政
時代となる
1070 宋銭の流通を禁止する
1071 英国王が国内のサクソン系所領を没収
1071 セルジュクトルコがエルサレムを占領する
------ 承保1年 4年 5年-----
1074 パリ教会会議が「聖職者独身の制は自然に反する」と決議
1080 この頃『狭衣物語』作者不詳〜最古の長編フィクション
1081 「五十音図」が初めてつくられる
1081 比叡山の衆徒が三井寺を襲い、寺の大半を焼く
------ 永保3年 4年 応徳3年 寛治5年-----
1083 後3年の役。奥羽の支配者清原家の内紛に、源義家が介入し、戦後は奥州藤原家がとって代わる
1084 『資治通鑑』司馬光〜歴史書、江戸期の教養書となる
1086 英国で土地台帳「ドゥムズディ検地帳」がつくられる
1091 ベネベント教会会議。信者に、祭礼期間中の食事制限と質の低下を決定
------ 嘉保2年 永長1年-----
1095 ローマ教皇ウルバヌス2世がビザンツ皇帝支援とエルサレム奪回を呼びかける
1095 十字軍全員に教会が救いを保証する。以降、贖宥を乱発
1096 この頃までに太宰府が機能をほとんど停止する
1096 第1回十字軍がコンスタンチノープルに集結。実態は宗教とは関係なく、強盗の群れに過ぎなかった
------ 康和1年 2年 長治2年-----
1099 十字軍がエルサレムを包囲し、住民を大量虐殺
1100 この頃、アラビアン・ナイトが成立
1100 この頃、タイ族が中国南部からインドシナ半島中央部に移動。アンコール朝に支配される
1105 藤原清衡が中尊寺を建立
1105 太宰府の警固所が機能停止し、これ以降太宰府が資料に見られなくなる
------ 嘉承1年 永久1年 4年-----
1106 京で田楽が流行する
1113 アンコール朝のスールヤバルマンが即位し(〜1150)、アンコール・ワット(=首都の寺)を建設する
1116 フランスに清貧で高徳の僧も現れる
------ 元永2年 保安1年-----
1119 藤原隆能が源氏物語絵巻を描く
1120 この頃欧州で、城の構築に大量の木を使い森林が荒廃する。デンマークのトレレボルク城の場合、大木
8000本を伐り、森林200エーカーが荒廃
------ 天治1年 4年 5年-----
1124 『金葉和歌集』白河法皇の院宣による5番目の勅撰集
1126 中尊寺金色堂が完成
1129 鳥羽上皇の院政が始まる(〜1156)
1130 中国で均産一揆(〜1135)
1130 『今昔物語』の成立〜または1140まで。全31巻の説話集
1130 欧州の宗教会議が野試合を禁止する。野試合とは、騎士の遊びで、相手から武具を奪い、時には命も奪
うもの
------ 長承1年 保延3年 5年 6年-----
1132 平忠盛が昇殿を許される(3/13)
1137 パリのカペー家が小土豪を家臣に組み入れ、次第に勢力を強めいてく
1139 ポルトガル王国が成立
1139 欧州の宗教会議が野試合をふたたび禁止する
1140 全欧州で聖地への巡礼が盛んになる。巡礼地はエルサレム、ローマ、スペイン北西部のサンチャゴ
----- 久安2年 3年 6年 久寿1年-----
1146 平清盛が安芸の守になる(2)
1147 第2回十字軍(〜1149)エルサレム王国がトルコに圧迫され独仏が実施
1150 この頃ムーア人がスペインでヨーロッパ初の製紙工場を造る。ムーア人は現在アフリカ北西部に住む
1150 パリ大学創立
1154 英国でノルマン朝が滅び、プランタジネット朝がはじまる。国王はフランスの西半分を領有していたアンジ
ェー伯で、そのため英国はフランスの属国のようになった。他方フランス国王はアンジェー伯領の侵略に
着手する(百年戦争の遠因となる)
------ 保元1年 2年 武家政権の時代------
1156 保元の乱(7/10)後白河天皇と崇徳上皇の対立が原因。天皇派の平清盛、源義朝が加茂川で戦い制圧。
以後、武士の時代となる
1156 源為朝が沖縄に敗走し、舜天王朝の始祖となる?
1157 北条政子が生まれる
------- 保元3年 平治1年 2年?------
1158 後白河上皇の院政が始まる(〜1179)
1158 平清盛が太宰大弐に任命され、九州支配の法的地位を得る
1159 改元。平治の乱(12/9)平清盛が後白河上皇に重用されたので、源義朝が反発する。しかし20日で鎮圧
され、源氏はいったん壊滅する
1160 イスラム史家イブン・アルアシールが生まれる(〜1234)
------ 長寛1年 仁安1年 2年 3年-----
1163 パリでノートルダム寺院の着工(〜1345)
1166 清盛の弟頼盛が太宰大弐に任命され、半年間赴任する
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年表06
1167 平清盛が太政大臣となる(2/11)。ヂンギス汗が生まれる?
1168 栄西が宋船で博多を出航し、天台山にいたる
------ 嘉応2年 承安3年 4年 安元1年-----
1170 『今鏡』で扱う最後の年。オックスフォード大学創立
1173 親鸞が生まれる
1174 『今鏡』の成立(8)〜または1175年7月、藤原為経か?
1174 金売り吉次が、鞍馬山の牛若丸を奥州につれていく
1175 法然が浄土宗を開く
------ 治承1年 3年 4年-------
1177 鹿ヶ谷陰謀事件
1177 源頼朝と北条政子が結婚する?〜永井路子『源頼朝の世界』59ページ
1178 源頼朝と北条政子に大姫が生まれる? 〜永井路子『源頼朝の世界』65ページ
1179 清盛が後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し(11/20)院政を停止
1179 欧州の宗教会議が野試合を再三禁止する
1180 安徳帝即位(2/21。清盛の孫)
1180 『名月記』藤原定家の日記、最初の日付(2/5。19歳)
1180 福原遷都(6/2)。以仁王の令旨により頼朝が挙兵(8/17)
1180 富士川の合戦(10/23)
1180 平重衡が奈良に侵入し、東大寺と大仏を焼く(12/28)。高野聖の重源が再建に当たる
1180 源頼朝が鎌倉に侍所を設け、朝廷とは別の政権を作り始める
------ 養和1年 寿永1年 2年 3年------
1181 平清盛死去(2/4)、後白河上皇が権力回復を図る〜1192
1181 菊池隆直が太宰府を焼き払う?
1182 改元。大飢饉
1183 『千載集』後白河法皇の院宣で開始(2)
1183 源義仲が京を押さえ(7/28)、平家を追放する(7/25)
1183 十月宣旨。後白河法皇が頼朝に、東海、北陸、東山3道の荘園・公領の行政への関与を認める。
木曽義仲が反発し、法皇と天皇を幽閉する
1183 後鳥羽帝3歳が即位(8)母は建礼門院徳子で清盛の次女
1184 木曽義仲が征夷大将軍になる(1)
1184 源頼朝が鎌倉に門注所、公文所をもうける
1184 宇治川の戦い(1/20)、木曽義仲が近江で打たれる(1/20)
1184 一ノ谷の戦い(2/7)
1184 源義経が従五位下に昇進し、九郎判官と呼ばれる(9/18)
------ 元暦2年/文治1年 2年------
1185 屋島(2/18)、那須与一が扇の的を射る(2/18)。壇の浦の合戦(3/24)で平家滅亡
1185 源頼朝が諸国に守護、地頭をおく
1185 『水鏡』の成立〜または1190まで
1185 改元。義経が都落ち(11/3)
1186 太宰府守護所の成立。後白河法皇が大原御幸
1186 惟宗(島津)忠久が都城の地頭になる
1186 西行(69歳)が東大寺大仏殿再興のため、東日本で勧進の旅をする。西行が源頼朝から
銀細工をもらい、すぐに門外の嬰児に与えて去る
------ 寛治1年 2年 3年------
1187 源義経が奥州に逃避
1187 沖縄で、源為朝の子?舜天が初の王朝をひらく
1187 アイユーブ朝がエルサレムを奪回する
1187 西欧の修道騎士団がシリアに「騎士の城」をつくる。1271年にサラセン帝国が奪い、
十字軍遠征が終わるまで城塞として利用
1187 栄西が再度宋に行き、臨済禅を学ぶ
1188 『千載集』が完成し、後白河法皇に奏覧される
1188 英仏独の十字軍がアイユーブ朝と戦う
1189 源義経(31歳)が殺される。奥州藤原家滅亡。奥州は阿部→清原→藤原→幕府領と変遷した。
奥州藤原氏の一派が松前半島に上陸、これが日本人による北海道史の始まりとなる
1189 ローマ教皇が「橋の同胞団」を認可。架橋技術者たちは修道運動者をかねていた
------ 建久1年 2年-------
1190 西行が河内で死去
1190 頼朝が天皇家牽制のため盛大に上洛する
1191 栄西が帰国し、飲茶の習慣をもたらす。明恵により宇治で茶の栽培がはじまる
------ 建久3年 4年-------
1192 源頼朝が征夷大将軍となる。銭貨の流通を禁止する
1192 熊谷次郎直実が出家する〜平敦盛を斬った武士
1192 栄西が筑前に報恩寺をたてる
1192 アイユーブ朝と十字軍が和平条約を結ぶ。アイユーブ王サラジンは高潔な武人として欧州で評価される
1193 高麗で、農民軍が京畿道を占領する
------ 建久6年 8年 9年----
1195 東大寺が再興される。栄西が博多に聖福寺をたてる
1198 高麗で、奴婢数千人が反乱を企て、蜂起前に発覚
1198 ヨーロッパで教皇権が絶頂期になる
------ 正治1年 2年----
1199 源頼朝が死去し、頼家が将軍となる。しかし東国武士が頼家に反発する
1200 この頃『ニーベルンゲンの歌』成立〜中世ドイツの英雄伝説を集大成したもので、作者不詳
1200 この頃『無名草子』日本最古の文芸批評
1200 道元が生まれる(〜1253)〜比叡山に入り、のち禅宗
------ 建仁1年 2年 3年-----
1201 親鸞が比叡山を降り、京で百日の参篭
1202 第4回十字軍がコンスタンチノープルを占領。十字軍は胡椒、生姜、肉桂の皮などの香辛料を
欧州にもたらす
1202 藤原定家が『伊勢物語』を書写する(建仁二年本)
1203 インドの仏教がサラセン勢力により滅亡(1956に復興)
1203 北条家が源頼家を幽閉し、源実朝を将軍にする
------ 元久1年 2年-----
1204 那須大八郎宗久が平家残党狩のため椎葉に至る
1204 コンスタンチノープルで盛大に略奪した十字軍が、聖遺物を大量に西欧に持ち帰る
1205 『新古今和歌集』藤原定家〜勅撰和歌集
1205 『選択本願念仏集』法然〜法然の思想の体系化
1205 この頃、奈良の旧仏教復興運動が盛んになる
------ 元久3年/建永1年 2年 -----
1206 チンギス汗によってモンゴル帝国が成立する
1206 この頃、イスラム商人がアジア全域で貿易を行い、中国・泉州で30年間に渡り貿易総監督になる
1207 法然が土佐に配流され、弟子の親鸞が越後に流される
1207 熊谷次郎直実が死去
------ 承元3年 4年-----
1209 ケンブリッジ大学創立
1210 フランスの小都市ブラムを騎士団が襲い、捕虜百名の鼻を削ぎ、両目をえぐり取る。同種の事件が
数多く行われる
------ 建暦1年 2年-----
1211 法然が許されて土佐より京に帰る。親鸞が許されて上野に移り、以後20年間、関東に滞在
1212 『方丈記』鴨長明。法然上人が死去
1212 フランスとドイツで少年十字軍ができる(5)。フランス隊は売り飛ばされ、ドイツ隊はイタリアで解散する
------ 建保1年 2年 3年----
1213 北条義時の挑発で和田義盛が挙兵し、滅亡する。将軍実朝は政変を抑えず、武士団の信用を失う
1214 『金槐和歌集』源実朝
1215 英国でマグナカルタ制定
------ 建保4年 5年 6年-----
1216 この頃から幕府は、北海道を流刑の場所と考えはじめる
1217 将軍実朝が、宋に渡る船を浮かべ、失敗する(4/17)
1218 『平家物語』作者不詳〜信濃前司行長か、年代不確定。人物は平家を公達、源氏を御曹司と
呼び分ける
------ 承久1年 2年 3年------
1219 源実朝が公暁によって暗殺され、源氏が滅亡する
1219 『北野天神縁起』が描かれる〜風俗が写実的
1219 宋が「銅銭の国外流出の禁」を公布〜高麗や日本との取引で宋銭が流出しすぎた
1219 チンギス汗が10万人で西征を開始。トルコ民族が中央アジアから追われ、アナトリアに去る
1220 慈円『愚管抄』。これは日本最初の歴史哲学書
1221 承久の乱。後鳥羽上皇が執権・北条義時追討を命じたが、武士が動かなかった
1221 藤原定家が『伊勢物語』を書写する(承久三年本)
1221 『八雲御抄』順徳帝〜歌学書
1221 北条家による政権が確定し、六波羅探題を設置
1221 幕府は諸国に対し、「大田文」の作成を命じる。荘園、公領の面積と領有者、地頭・御家人の
行政基準など明記したもの
------ 貞応2年 元仁1年-----
1223 道元が貿易船で宋に渡り、天童山で曹洞禅を学ぶ。博多から明州までの渡航日数は8日前後
1223 藤原定家が『伊勢物語』を書写する(貞応二年本)
1224 藤原定家が『源氏物語』写本をつくり始める
------ 嘉禄1年 2年 安貞1年 2年-----
1225 北条政子没
1226 武蔵の武藤資能が太宰大弐に任命され、これ以降幕府の九州支配機関となる。武藤氏は
のち小弐と名乗る
1227 ヂンギス汗が死に、オゴタイが後継
1228 この頃欧州で、城の構造が木造から石造りに替わる
------ 寛喜2年 3年-----
1230 米1石を銭1貫文と定める。1石は、1人が1年に食べる米の量で、10斗または180リットル
1231 武家法としての御成敗式目51カ条の制定〜行政権限を明確にし、司法を公平にするもの
1231 藤原定家が『伊勢物語』を書写する(寛喜三年本)
1231 元が高麗の首都・開城を攻める
------ 貞永1年 天福2年 文暦2年-----
1232 高麗王朝が江華島に避難する
1232 『新勅撰和歌集』藤原定家が単独で編纂し後堀河帝に奏覧
1234 モンゴル軍(オゴタイ汗)が金を滅ぼす
1235 藤原定家が百人一首を編む
1235 『名月記』藤原定家の日記、最後の日付(12/30。74歳)
------ 暦仁1年 仁治2年-----
1238 タイ族がアンコール朝から独立し、初めて国をつくる
1241 モンゴル軍がポーランドに侵入する
1241 藤原定家が死去(80歳)
------ 寛元1年 2年 3年 4年----
1243 道元が越前吉田郷に行き、永平寺の原型をつくる
1244 エジプト・アイューブ朝がエルサレムを占領する
1245 英国ウィンチェスターの平均寿命44歳
1246 ローマ法王がモンゴルに親書を送り、サラセンに対する同盟を図る
1246 永平寺が曹洞宗の本山になる
------ 建長2年 5年 6年 7年-----
1250 栄西が北条時頼に迎えられ、鎌倉に建長寺を創建する
1253 日蓮が故郷安房に帰り、法華宗をはじめる(4)
1253 『正法眼蔵』道元。道元が京で死ぬ(54歳)
1254 マルコ・ポーロが生まれる(商人。〜1324)
1255 源氏物語の最古の写本〜源親行によるもの
------ 正嘉1年 2年 文応1年 弘長1年-----
1257 モンゴル軍がベトナムを攻撃し、服属させる
1257 英国がペニー金貨をつくる
1258 モンゴル軍がイランのアッバース朝を滅ぼす
1258 モンゴル軍が高麗を服属させる
1260 フビライ(第5代)が即位
1260 『立正安国論』日蓮〜執権に送り、外国の侵攻を予言
1260 日蓮が伊豆の伊東に流される
1261 親鸞が死ぬ(90歳)
------ 文永1年 2年 5年 6年 7年 8年-----
1264 モンゴルが樺太を征服
1265 ダンテ生まれる
1268 モンゴルが幕府に朝貢をせまる
1269 『万葉集註釈』仙覚
1270 日蓮が斬首を軽減され、佐渡に流される
1271 フビライが国号を元と改める
------ 文永10年 11年 12年----
1273 高麗の元への農民反乱軍が、斉州島で全滅。元は斉州島を直轄地にする
1274 文永の役(10/12)モンゴルが3万人で侵入し、博多を占領。10/20引き揚げる。季節から見て
台風は来なかった?
1274 日蓮が鎌倉で法華信仰を説く
1274 『釈日本紀』ト部兼文。従来の日本書紀研究の集大成
1275 マルコ・ポーロが元に着き、フビライに仕える
1275 タイ王国スコータイ朝がインドシナ各地に勢力を拡張
------ 弘安2年 4年-----
1279 元により南宋が滅亡する
1281 弘安の役(6)モンゴルが14万人で第2回目の侵入。2カ月間戦い、台風で壊滅的な打撃により撤退
------ 弘安6年 7年 8年 -----
1283 元がビルマのパガン朝を滅ぼす
1283 タイ王国スコータイ朝のラーマ王自身がタイ文字を作る。やがてタイ全土に普及し、仏教とともに
タイ文化を形成
1284 元がベトナム南部のチャンパーを攻撃するが、大敗する
1285 覚山尼が東慶寺を開基〜覚山尼は北条時宗の妻
------ 正応3年 4年 5年-----
1290 皇室は2系統に分かれ争っていた。伏見天皇暗殺未遂事件
1291 第10回十字軍の拠点が陥落し、十字軍そのものが消滅
1291 英国で世界初の紙幣が発行される
1292 元がジャワ島を襲う
------ 永仁1年 2年 3年 5年-----
1293 『蒙古襲来絵詞』当事者の竹崎李長が画家に描かせたもので、細部の描写が正確と見られる
1294 楠木正成が生まれる
1295 タイ王国が元に使節を送り、フビライから親書をもらう。これ以前に王自身が中国に2度赴き安定を図る
1297 永仁の徳政令。御家人の所領回復を図る
1297 英国ウィンチェスターの平均寿命40歳。平均年齢は20歳以下。これが当時一般的
------ 正安1年 徳治2年 延慶3年-----
1299 『東方見聞録』マルコ・ポーロ
1299 オスマン・トルコの建国(〜1922)。セルジューク朝の軍団長オスマンが、ビザンツ帝国との
国境守備隊を任されていて、独立し次第に領土を拡張
1307 独フランクフルトで牛肉を、1人で年間100キロ食べるようになったとの記録が残されている
1310 この頃、北海道・東北と京との流通が活発
------ 正和2年 3年 4年-----
1313 後伏見天皇の子、のちの光厳天皇が生まれる
1314 北西ヨーロッパで穀物凶作。これからペストと飢饉がはじまる
1315 スイス地方がハプスブルク家への反抗を始める
------ 文保2年 元亨1年 2年-----
1318 後醍醐天皇が即位〜以下、『太平記』関係は、永井路子さんの作品を参照のこと
1321 天皇が院政を廃止し、記録所をおく
1322 津軽の安東家が北海道までまきこんで内紛を起こす。幕府は鎮圧できず、弱体化をさらす
------ 正中1年 元徳1年 2年 南北朝へ------
1324 アフリカのマリ王国国王がメッカを巡礼し、道中で金を湯水のように使ったため、アラブの金相場が暴落する
1329 正中の変〜後醍醐天皇の倒幕計画が発覚する
1330 この頃『徒然草』
1330 天皇が倒幕のため東大寺、興福寺、比叡山を行幸(3)
1330 この頃、中央アジアのイシュク・コール湖付近でペスト病が発生。発病したネズミが移動
------ 元弘1年 2年 3年-------
1331 幕府軍が比叡山を攻め、破れる。天皇が捕らえられる。光厳帝が即位する(9)。赤坂城が陥落(10)
1331 ジャワ島のマジャパイト王国が東部ジャワの反乱を平定。密教呪術をしりぞけ武断政治に切り替える
1332 先帝が隠岐に配流される(3)。護良親王(後醍醐の子)と楠木正成が吉野で再度挙兵(4)
1333 幕府が大軍を吉野、赤坂方面にさし向ける(1)。後醍醐先帝が隠岐を脱出(閏2月)し、名和長年を味方
に付ける。足利高氏が幕命で上洛し(4)、反逆して六波羅を攻める(5)。六波羅勢は米原まで逃げ、432人
が蓮華寺で切腹自殺。新田義貞が鎌倉を攻め、鎌倉幕府が滅亡する(5)
1333 観阿弥が生まれる(〜84年)能を創る、小野小町を主人公にした『卒塔婆小町』など
------ 建武1年 -----
1334 建武中興。光厳帝は上皇に退き、のちに出家し丹波の常照寺住持となる
------ 建武3年 4年-------
1336 後醍醐天皇が足利尊氏に追われ、比叡山に逃れる(1)。足利尊氏は太宰府まで逃れ(2)、
西国をまとめ再上洛(3)
1336 天皇は光明、後醍醐の両統に分かれ南北朝となる(10)
1336 新田義貞が敦賀金崎城に篭もる(10)。後醍醐帝が吉野へ脱出(12)。足利尊氏は独断で
征夷大将軍になり(11)幕府政治を始める
1337 金崎城が陥落する(3)
1337 英仏百年戦争が始まる
------ 暦応1年 2年----
1338 南朝の後醍醐帝が吉野で死去(8)
1338 足利尊氏が征夷大将軍を追認される(8/11)
1338 九州では守護の上位に鎮西将軍が置かれ、その後九州探題と名称変更
1339 後醍醐天皇が病没(9)
------ 貞和1年 3年-----
1345 パリのノートルダム寺院が完成(1163〜)
1347 ヨーロッパでペストが流行する。発病したネズミがクリミア半島から貿易船で欧州へ移動
1347 シチリア島でペストが流行(10)
------ 貞和4年 5年------
1348 フィレンツェ市の人口9万人の半数が死亡(3〜8)。市民で作家のボッカチオが症状の記録を残す
1348 ペストがフランスイタリア英国全土に広がる。欧州全域の死亡率は不明で、3割以上
1349 京都で能の上演中、桟敷が落ち惨事となる。この頃、能・田楽が盛んに上演されていた。
高師直が足利尊氏の館を囲む(8)
1349 フランドル地方でペストによる死者がでる
1349 北ドイツでペストに無力な教会に反発し、鞭打ち苦行団が現れる
1349 欧州は生産力低下にペストが加わり、人口減少の傾向がつづく
------ 観応1年 2年------
1350 朝鮮半島で倭寇が始まる。和冦は北九州の武士団「松浦党」と配下の漁民団、対馬島民より成る
1350 足利直冬が幕府にそむき九州を制圧(9)、足利尊氏が討伐のため九州に向かう(10)
1350 吉田兼好が死去
1350 タイ人ラーマがアユタヤ王朝をひらき、スコータイ朝を凌ぐ。タイ史上初めて法典を編纂する
1351 中国で紅巾の乱(〜1368)
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年表07
1351 足利直義が南朝と合流し京を制覇(1)。足利尊氏が兵庫で直義と戦い、敗走(2)。尊氏が直義討伐の
宣旨を受け、近江で対決(8)。直義が味方の離反で鎌倉に向かう(10)
------ 文和1年------
1352 足利直義が足利尊氏に降伏する(1)。南朝が京を奇襲する
1352 新田軍が武蔵小手差で足利尊氏と戦い敗走する(6)
1352 半済法の施行〜荘園の年貢を半分しか納めないのを認める法。これにより地方に余剰物資が出来、
商業が活発になる
------ 延文1年 3年 4年 5年-----
1356 『紋章論』イタリアの法学者バルトルス。紋章の研究が始まる
1358 足利尊氏が病没(4)、足利義詮が将軍になる
1359 筑後川で南朝方(懐良親王)が幕府を破り、九州だけが南朝の勢力圏になる
1359 足利義詮が南朝攻めに向かう(12)
1360 和冦が高麗(江華島)を襲う。南朝の赤坂城が陥落(5)
------ 康安1年 貞治3年 6年-----
1361 京で幕府と南朝が対陣し、幕府が近江に逃れ、南朝軍が離散し、幕府が再び京に入る
1364 世阿弥が生まれる(〜1443。観阿弥の子で、能を完成する)
1364 ビルマがアバ朝によって統一される
1367 細川家(足利一門)が幕府の実権をにぎる
1367 高麗の使者が上洛し、和冦の禁圧を求める
------ 応安1年 2年----
1368 明が中国を統一。初代皇帝の朱元璋は貧農出身で、紅巾賊の首領となり、南京で即位し洪武帝となる
1368 足利義満が三代将軍になる
1369 明が懐良親王に和冦鎮圧を要求して、使者を太宰府に派遣
1369 チムール王国成立。チムールがサマルカンドに首都をおいて創設。正統性を認めさせるため
チンギス汗の末裔と称する
------ 応安3年 4年 5年-----
1370 幕府が今川貞世を九州探題に任命し、懐良親王を破る。今川貞世は各地の土豪を団結させ、島津の
牽制を図る
1370 大規模な和冦が、中国の沿岸全域を襲い、略奪する
1371 現存する『古事記』最古の写本「真福寺本」が書かれる
1372 観阿弥一座が醍醐寺で演能を行う
1372 『太平記』作者不詳
1372 『世界史序説』イブン・ハルドーン(1332〜1406)チュニジア人で、地理学と歴史学の発達をうけ執筆
------ 永和2年 3年-----
1377 将軍義満が実権を握りはじめる
------ 永徳1年 至徳1年 3年-----
1381 英国でワット・タイラーの乱
1384 観阿弥が駿府で死去(世阿弥は22歳)
1386 京・鎌倉の「五山の制」が義満により確定する
------ 康応1年 明徳2年-----
1389 トルコがビザンツ帝国の内紛に乗じて、バルカン半島の大半を制圧
1391 足利義満が、11カ国の守護・山名氏清を倒し(明徳の乱)、九州探題を罷免する
------ 明徳3年 4年------
1392 李成桂(1335〜1408)が高麗朝を滅ぼし、太祖となり李氏朝鮮を始める(7/17〜1910)李成桂は高麗の
将軍で、和冦討伐に功があった。
1392 朝鮮太祖が明に使者を派遣する(11/29)
1392 日本で南北朝が統合される
1393 フィレンツェのジョバンニが銀行を起こし、メディチ家三百年の繁栄の基礎を築く
1393 『カンタベリー物語』チョーサーがロンドンの俗語で書く
------ 応永4年 6年-------
1397 この頃、京都・東寺門前に1服1銭の茶屋が数軒出来る
1397 足利義満が金閣寺を造営する
1397 ベルリン市では1日1.3キロの牛肉を食べていた
1399 足利義満が、6カ国の守護・大内義弘に乱を起こさせ倒す
1399 英国でランカスター朝
------ 応永7年 8年 9年-----
1400 『風姿花伝』世阿弥
1400 イル汗国がシリアに侵入し、都市を破壊し住民を虐殺
1401 足利義満が明・恵帝に朝貢し、日本国王として册封を受ける。足利義満は源道義と称する。勘合貿易の
はじまり
1401 この頃の日本の総耕地面積は94万6千町歩
1402 明の第3代永楽帝が即位し(〜1424)、蒙古、満州、ベトナムを攻撃
1402 明国から答礼使が国書を携え、足利義満にあう
1402 トルコ皇帝バヤジッド1世がチムール帝国にやぶれ、捕虜となる。11年間の空位時代となる
------ 応永12年 14年 15年----
1405 鄭和がインド、アフリカを遠征(〜1433まで7回)第1回は大船62隻、士卒27000人。中国人の東南アジア
への進出が始まり、華僑の起源となる
1407 「紙座」ができる。紙漉工と紙商人の同業組合
1408 足利義満が死去し、義持が後継。室町幕府の権威が急速に衰える。関東以北は慢性的な戦乱状態。
近畿以西は平穏。
1408 義満の死で世阿弥は庇護者を失う。義持は田楽を愛好し、田楽が隆盛
------ 応永18年 21年-----
1411 中国通貨・永楽通宝の輸入で、流通が盛んになる。私鋳銭の流通も盛んになる
1414 パリは冬季間、疫病で悪臭が漂い、司教が大行列を中止。悪性の感冒か
------ 応永25年-------
1418 朝鮮で4代・世宗が即位(〜1450)、名君と仰がれる
1418 応永25年 パリ市で疫病のため5000人以上が死亡。埋葬の場所がなくなる。当時はペストを「ラ・ボス」
すなわち和訳では「運ぶ」と呼ばれた。ブリュゴーニュ軍がオルレアン侯からパリを奪回(5/29)。パリ市民
が500人以上の市民を虐殺。リエージュ地方では数万人の虐殺
------ 応永26年 27年 28年-------
1419 応永の外冦。和冦討滅をはかる朝鮮水軍が対馬を攻撃する
1419 アザンクールの戦い。百年戦争の一部。長弓によりフランス軍が潰走。双方の兵力は合計11000人で、
これは当時の規模としては大戦争
1420 雪舟が生まれる(〜1506)
1420 飢饉のため、パリ市内に狼の群れが侵入
1421 明が北京に遷都
------ 応永30年 31年-----
1423 世阿弥が『三道』を書き、幽玄について論じる
1424 フランスで「死の舞踏会」図が描かれるようになる。死者が踊っている絵で、死を恐れ、虚無と感じた
1424 明の永楽帝がモンゴル遠征中に死去
------ 応永35年/正長1年-----
1428 将軍義持が死に、弟の義円が還俗し将軍義教となる。能では義教は音阿弥派を庇護し、世阿弥を圧迫する
1428 正長の土一揆。これは初めての百姓一揆
1428 明がベトナムから撤退
------ 永亭1年 2年-------
1429 ジャンヌ・ダルクが(1412〜)「フランスを救うべし」と天啓を受け決起し、南仏アルマニャック派12000人を
率いてパリ市を攻撃。シャルル7世をフランス王に即位させる
1429 尚巴志が沖縄を統一し、琉球王朝を開く
1430 百年戦争でフランスが優位になり、英国の志気が落ちる
------ 永享3年 5年-----
1431 ジャンヌ・ダルクが19歳で異端者として火刑(5/8)。後年ナポレオンによって聖少女のイメージが宣伝される
1433 奈良興福寺の五重塔が再建される。フランスでペスト病が流行
------ 永享10年 12年 嘉吉3年-----
1438 パリ郊外で狼が出没
1440 この頃、高野聖は弘法大師信仰を全国にひろめ、かつ宿泊先の女房や娘を寝取った
1443 近畿を中心に、異常気象で自然災害が頻発する(〜1461)
1443 対馬島主・宗家が和冦を抑える代償として、朝鮮から米二百石をもらうようになる
------ 文安3年 5年-----
1446 マラッカ王がイスラム風の名前を名乗り始める
1448 アユタヤ朝のトライロク王が中央集権化をはかり、官僚制、軍制を整え、20世紀まで継続する
1448 クーテンベルクが活版印刷機を発明する
------ 宝徳2年 ----
1450 この頃インドネシア、マレーシアのイスラム化が進む
1450 フォルミニィの戦い。百年戦争の一部、長弓により英国軍が敗北
------ 享徳1年 2年-----
1452 レオナルド・ダ・ビンチがフィレンツェ近郊に生まれる(〜1519)
1453 カンボジアのアンコール王朝が、タイのアユタヤ朝の攻撃によって滅亡
1453 フランスが全土を回復し、英仏百年戦争が終わる
1453 オスマン・トルコがビザンツ帝国を滅ぼす。このとき新兵器である大砲で攻撃。トルコが首都を
イスタンブールに移す
------ 康正1年 長禄1年-----
1456 ジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判が行われ、異端者からもとの聖少女と決定される
1457 明国が樺太から後退し、アイヌ勢力が拡張する。ついで北海道内の日本人を追い出すため武田家と
戦う(コシャマインの乱)
1457 太田道潅が扇谷上杉氏の命により川越城の支城として、江戸城を築く。岩付城もつくる
1457 将軍義政が弟・政知を伊豆堀越(韮山)に遣わす。堀越公方の始まり〜「静岡県の歴史散歩」より
------ 寛正3年 応仁1年-----
1462 モスクワ大公国が領土拡張に乗り出す
1467 応仁の乱が始まる(将軍跡継ぎ問題による細川・山名の対立、斯波・畠山の家督問題が発端。
細川側は24カ国16万人、山名側は20カ国9万人)
------ 文明1年 3年 5年 6年-----
1469 雪舟(49歳)が中国に渡り、水墨画を学ぶ(1467年か)
1471 朝倉氏が越前守護になる
1471 蓮如が浄土宗本山を建て、のちに金沢市となる
1473 コペルニクスが生まれる
1474 本願寺8代法主・蓮如の指揮で加賀一向一揆がおこる
------ 文明9年 12年 15年-------
1477 五十子の戦い〜上野・武蔵・相模を支配する山内上杉顕定が家宰・長尾景春の反乱に破れる
1477 応仁の乱がおわり、下克上となる
1477 江古田・沼袋の戦い〜江戸城の太田道潅が石神井城の豊島泰経を滅ぼす
1480 連歌師宗祇が山口を訪れる
1483 ラファエロが生まれる
----- 文明16年 17年 18年-----
1484 ポルトガル王がコロンブスの航海計画を拒否
1485 英国でチューダー朝
1486 イタリアのトスカネリが地球球体説を唱える
1486 上杉定家が太田道潅を殺す(7)
----- 長享1年 2年 延徳3年----
1487 バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達する
1487 ドミニカ修道士が魔女狩りの手引書『魔女の鉄槌』を書き、17世紀まで使われた
1488 高尾城の戦い。加賀の守護富樫政親が20万人の一向一揆に包囲され敗北し、加賀は守護が消滅
1491 北条早雲が伊豆堀川御所を攻略し足利茶々丸を討つ。民治に尽くし守護体制が崩れる
------ 明応1年 2年 3年-------
1492 コロンブスが西インド諸島(ハバマのワトリング島)に到着(10/12)
1492 スペインがグラナダを奪回し、イスラム勢力が去る
1493 山本勘助が生まれる(1561川中島で戦死)
1493 コロンブスが第2回の航海に出かけ(9/24)、プエルトリコやジャマイカを発見する
1493 細川が将軍を追放し、実権を握る
1494 斉藤道三が生まれる(のちに美濃の土岐氏を追放し、戦国大名となる)
1494 トリデシリャス条約。スペインとポルトガルが地球を半分ずつ領有するという条約
------ 明応4年 5年 6年 7年-------
1495 北条早雲が小田原城を奪う
1496 蓮如が石山に本願寺別院を建てる
1497 毛利元就が生まれる(12カ国を支配、1571死亡)
1497 アメリゴが米大陸に到達
1498 バスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着
------ 明応9年-----
1500 京都の町民が自治組織をととのえ、自衛する
1500 吉田神社の神主が「明神」の呼称を考案〜但し、正確なことは不明、年度も確定不能
1500 マラッカ王国の領土がマレーシア、スマトラまで広がる
------ 文亀2年 3年-----
1501 アメリゴが南アメリカ南端を通過し、新大陸を発見したと報告
1502 レオナルド・ダ・ビンチがフィレンツェに帰る(絶頂期)
1503 ノストラダムスがフランスに生まれる〜予言集『諸世紀』
------ 永正1年 3年-----
1504 立河原の戦い(立川市柴崎)。扇谷上杉・今川・北条対山内上杉。引き分け
1506 フランシスコ・ザビエルが生まれる(〜1552)
1506 バチカンの聖ペテロ寺院の改築に着手(〜1667完工。途中でラファエロやミケランジェロも工事に参加する)
1506 九頭竜川の戦い〜加賀、越中、越前の門徒20万人が朝倉家2万人を攻撃し、破れる
1506 般若野の戦い。越後長尾家が越中礪波に侵入。越中一向一揆は守護代神保氏の加勢で越後守護代を
殺す(8/18〜9/19)
------ 永正4年 5年 6年------
1507 越後守護代・長尾為景が主家の上杉房能を殺す(8/1)
1508 幕府が撰銭の法を定める
1509 カルビン(仏。〜1564)宗教改革、聖書中心の福音主義、予定説、ジュネーブで改革運動
------ 永正7年 8年 9年-------
1510 朝鮮南岸に居住していた日本人が、李朝に対し反乱する
1510 沖縄全域が琉球王朝の領土になる
1510 上杉房能の子が越後を攻めるが、長尾為景に殺され(6/20)、長尾氏が越後の実力者となる
1510 この頃、尾張斯波家が今川の数次による攻撃で衰弱する
1510 権現山の戦い。扇谷上杉・山内上杉対北条早雲。越後での上杉家敗北に乗じる。両上杉により
早雲が敗走
1511 ポルトガル艦隊が華僑の協力を得てマラッカを占領(8)。目的は香辛料貿易の独占。しかし、
イスラム商人がマラッカを避けたので、ポルトガルの目的は失敗
1512 マキャベリがフィレンツェで公職追放される(11/7)
1512 コペルニクス(1473〜1543)が太陽を中心とする静的な地動説を提案
------ 永正12年 13年 14年------
1515 スペインが統一される
1516 オスマントルコがシリアとエジプトを占領
1517 ルターが、ビッテンベルクの教会の扉に「95箇条の提題」を掲示する
1517 武田信虎と今川氏親が、連歌師宗長の仲介で和睦する
------ 永正15年 16年 17年-------
1518 北条早雲が三浦氏を滅ぼし、相模国全域を支配する
1519 今川義元が生まれる(〜1560)
1519 マゼランが世界一周に出航
1519 レオナルド・ダ・ビンチが死去(1452〜)
1519 コルテスがメキシコのアステカ文明を破壊する(〜1521)
1520 この頃から味噌や醤油の大規模工場が造られる
1520 トルコでスレイマン1世が即位し領土がハンガリー、ユーゴ、アルジェリアまで拡張する。最盛期。
スレイマン1世は法を整える
------ 大永1年 2年 3年------
1521 武田信玄が生まれる(〜1573)
1521 今川氏親の部将が甲斐に侵攻し、引き上げる(10/16)
1521 マゼランがフィリピンのマクタン島で殺される(4/27)後年フィリピン政府は、殺したラプラプを英雄とたたえる
1522 マゼラン艦隊の一隻が世界一周しセビリアに到着(9/8)
1523 寧波事件。中国の寧波で大内、細川が争う
1523 毛利元就が家督を嗣ぐ(8/10)。近江で浅井氏が台頭する
1523 この頃より、連歌が流行し始める
------ 大永4年 5年 6年-------
1524 尼子経久が広島(銀山)の武田氏を攻める
1524 高輪原の戦い(港区高輪)。北条早雲の子氏綱が扇谷上杉に勝ち、江戸城を得て武蔵に進出する
1525 滝川一益が甲賀に生まれる(〜1586)
1525 岩付城の戦い(岩槻市)。北条氏綱が、上杉家家臣・大田氏をやぶる
1526 里見義豊が三浦半島から鎌倉に入り北条氏綱に勝つ
1526 今川氏親が「仮名目録」を制定(4)。今川氏親が死に、義元(8歳)の兄氏輝が嗣ぐ
------ 大永7年 8年 享禄3年-----
1527 ビルマのアバ朝で内乱が激化
1528 明智光秀が生まれる(〜1582)
1528 大内義隆が中国地方7カ国の守護になる
1530 アフリカ人の新大陸への奴隷貿易が始まる(1説では19世紀末までに1465万人が奴隷として運ばれた)
1530 上杉謙信が生まれる(〜1578)。柴田勝家が生まれる
1530 木綿が生活で用いられ始める
------ 天文1年 2年 3年----
1532 ピサロほか300人によってインカ帝国が滅亡
1532 鶴岡八幡宮が現在の様式で着工
1533 島津義久が貴久の長男として生まれる(〜1611)
1533 英国でエリザベス1世が生まれる(〜1603)
1533 可部横川の合戦で銀山城が落城
1534 ザビエルとロヨラがイエズス会を創設
1534 モスクワ大公国の領土がウラル山脈に達する
1534 大友・小弐軍が豊前に侵攻し、大内・菊池が防戦
------ 天文5年-------
1536 木下藤吉郎が百姓の子として生まれる。今川義元が家督を嗣ぐ
1536 大内義隆が太宰大弐に任官し、法的に小弐氏の上官となる
1536 越中守護代の神保が一向一揆と結び、守護畠山を圧迫
1536 伊達植宗が「塵芥集」を制定(4)
------ 天文7年 8年 9年-------
1538 前田利家が尾張荒子城主の子として生まれる
1539 長宗我部元親が生まれる(〜1599)
1540 尼子晴久が吉田郡山城を攻撃開始(9/4)
1540 北条氏の鶴ケ丘八幡宮造営が完成する(11)
------ 天文10年 11年 12年--------
1541 尼子軍が吉田郡山から退却(1/13)
1541 カルビンがジュネーブで宗教改革を始める
1542 徳川家康が生まれる。諏訪氏が滅亡する
1542 斉藤道三が美濃国守護となる。生野銀山が開発される
1542 スペインが王子フェリペにちなみフィリピンをフィリピナと命名
1542 大内義隆が尼子攻撃を開始(1/11)
1543 大内軍が富田月山城から退却(5/7)
1543 この頃守護代・国人層の台頭
1543 スペインにじゃがいもがもたらされる。欧州で初めて
1543 コペルニクスが『天球の回転について』で地動説を発表し、死去
1543 種子島に明国船が漂着し鉄砲伝来(8/25。西暦9/23種子島家が2挺購入。ポルトガル人の
名前はメンデス・ピントー)
------ 天文13年 15年 鉄砲伝来-------
1544 種子島の鉄砲が、種子島家→島津義久→将軍義晴→細川晴元→国友村(2月。近江の鍛冶の町)と移動
し、これをもとに半年後、国産化が始まる(8/12)。江戸時代初期までに、日本は世界最大の鉄砲生産国と
なる
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年表08
1544 毛利隆景が小早川家を相続(11)
1546 武田勝頼(信玄の4男)が生まれる。黒田如水が生まれる
1546 山内上杉8万人が川越城の北条8千人に破れる。これ以降上杉家は衰える
------ 天文16年 17年 18年-------
1547 『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスが生まれる(〜1616)
1547 武田信玄が「甲州法度」を制定(6)
1548 上杉謙信が遷俗し春日山城主となる。武田信玄が村上義清に破れる
1548 小笠原長時が諏訪に攻め入り、武田信玄に破れる
1549 ザビエルが鹿児島に上陸し、2年間布教。キリスト教布教の始まり
1549 筒井順慶が生まれる(〜1584)
1549 織田信長が国友村に鉄砲500挺を注文する(7/18。鉄砲伝来後6年目)現在の価格で1挺200万円か?
------- 天文19年 20年 21年--------
1550 武田信玄が村上義清に再び破れる(10/1)
1550 北条氏康が税制改革を行う。毛利元春が吉川家を相続(2)
1550 ポルトガルの貿易船が平戸に来航。ヨーロッパとの貿易の始まり『長崎歴史散歩』24ページ
1551 織田信長が家督を継ぐ(18歳)
1551 ザビエルが山口を訪れる。陶晴賢が大内義隆を追放する
1552 三好長慶が幕府の実権を握る
------ 天文22年 23年-------
1553 川中島の合戦(〜1564まで5回)
1553 京で三好長慶が細川を倒し、三好はやがて松永に倒される
1553 毛利輝元が生まれる(〜1625。関ヶ原で西軍の盟主にかつぎ上げられる)
1553 平手政秀が信長を諌めて自害
1554 今川、武田、北条が同盟する
------- 弘治1年 2年 3年-------
1555 織田信長が清洲城に移る(4)
1555 毛利元就が厳島合戦で陶晴賢を破る(10/1)、村上水軍が活躍
1555 イスパニア王フィリプ2世がオランダを統治する
1555 和冦が南京に迫る。第2回川中島の合戦
1555 アウグスブルクの宗教和議。宗教改革が、カトリックとプロテスタントの和解で一応の決着をみる
1556 斉藤道三が、息子の義龍に長良川で討たれる。信長が道三の援軍になるはずが間に合わない(4/20)
1566 結城政勝が「結城氏新法度」を制定(11)
1557 小西行長が堺の薬商の次男として生まれる(関ヶ原で死亡)
1557 毛利元就が長門と周防を平定。第3回川中島の合戦
1557 ポルトガルがマカオに居住権を獲得。ポルトガルの人口は百万人と寡少で、海外貿易に現地人を含む
外国人を多数採用
------ 永禄1年 2年-------
1558 木下藤吉郎が織田信長に仕える
1558 『自省録』マルクス・アウレリウスがチューリヒで印刷される
1558 英国でエリザベス1世が即位
1559 フランスのポルトガル大使ニコットが、タバコに皮膚病に効く成分を発見、ニコチンの語源となる
1559 鹿児島で焼酎の製造がはじまる
1559 欧州で初めて茶が文献で紹介される〜ベネチア市参事会書記ラジムオ
1559 織田信長が岩倉織田氏を倒し、尾張の大半を統一。浅井長政が父を隠居させ実権を握る
------ 永禄3年------
1560 大久保彦左衛門が生まれる。石田三成が生まれる
1560 桶狭間の戦いで今川義元が敗死(5/19)
1560 長宗我部元親が初陣(5/28。長浜表の戦い)
1560 野良田表の戦い(彦根市)。六角義賢が浅井長政を攻め、大敗(8)
1560 酒の製造過程で「火入れ」による低温殺菌がはじまる
------ 永禄4年 5年--------
1561 福島正則が尾張に生まれる(〜1624)。第4回川中島の合戦
1561 藤原惺窩が生まれる〜儒者で林羅山の師匠
1561 宣教師ウィレラが京都で布教する
1562 徳川家康と織田信長が同盟を結ぶ(1)
1562 毛利元就が尼子氏から大森銀山を奪う
1562 長岡城の合戦(秋田県比内町)。安藤氏が浅利氏を攻めて破り、秋田地方で優位に立つ
------ 永禄6年 7年-------
1563 ルイス・フロイスが来日。のち『日本史』を書く
1563 ビルマがタイのアユタヤ朝と戦う
1563 欧州で、王や貴族が食事にナイフ、フォークを使いはじめる。年次は不明。それまでは手掴みで食べた
1564 アユタヤ朝が敗北し、王族はビルマに連行される
1564 ガリレオ・ガリレイがイタリアに生まれる
1564 シェークスピアがストラトフォードに生まれる
1564 三好長慶が死去。第5回川中島の合戦
------ 永禄8年 9年------
1565 毛利元就が富田月山城を包囲する(2)
1565 スペイン人が初めてフィリピンを訪れる。これ以前のフィリピン史はほとんど分かっていない
1566 尼子義久が毛利氏に降伏(11)
------ 永禄10年 織田政権の時代------
1567 織田信長が斉藤を破り岐阜に進出。楽市の制度(座の廃止、市場への課税の廃止により商品の
自由な流通を保証する制度)を始める
1567 足利義昭が朝倉氏を頼る
1567 六角義治が「六角氏式目」を制定(2)
1567 織田信長が稲葉山城を攻略する、妹・お市の方を浅井長政に嫁がせる
1567 真田幸村が昌幸の次男として生まれる(1614大阪冬の陣で出城の真田丸を築き、1615夏の陣で戦死)
1567 伊達政宗が米沢に生まれる(〜1636)
------ 永禄11年 12年-------
1568 織田信長が足利義昭を奉じ上洛(9/7岐阜発)。足利義昭が15代将軍になる(10/18)。羽柴秀吉が
京都奉行になる
1568 京都に南蛮寺が立つ
1568 黒田長政が生まれる(〜1623。福岡52万石の祖)
1568 オランダがスペインに対し、独立のための反乱を始める
1568 徳川家康が遠江に侵入する(12/12)
1568 武田信玄が今川氏真を破り、駿府を焼く(12/13)
1569 松永弾正が、大和の筒井順慶をやぶる
1569 徳川家康が掛川城で今川氏を滅ぼす(5/17)
1569 織田信長が堺を直轄地にする。信長がフロイスに会い、京都での居住を許可する
1569 武田信玄が小田原城を包囲する(10/1)
1569 大友氏が毛利氏から立花城を奪回(10/15)
------ 元亀1年 2年------
1570 信長が朝倉義景に上洛を命じる(1)
1570 宮部善祥坊が羽柴秀吉の被官になる
1570 徳川家康が浜松城に入る
1570 姉川の合戦で織田・徳川(25000)が浅井・朝倉(15000)を破る(6/28)
1570 石山合戦〜織田が石山本願寺を包囲(〜1580)
1570 伊勢長島一向一揆。長崎に中国人が定住し、現代に至る
1571 ケプラーがドイツに生まれる
1571 越中守護代の椎名康胤が松倉城(魚津市)で上杉謙信に破れる
1571 毛利元就が郡山で死去(6/14)
1571 織田信長が延暦寺焼き討ちを断行する(9/12)
1571 北条氏政が佐竹義重を攻める。鬼怒川で対陣中、里見水軍が小田原を攻めそうになり、北条氏は帰陣
1571 スペインがマニラを占領し(5)、植民地の中心にする
1571 レパントの海戦でトルコがスペイン側に破れる。地中海の制海権をにぎるトルコに対し、スペインを盟主
とする欧州諸国連合の反攻
------ 元亀3年-------
1572 三方ヶ原の戦いで、徳川家康が武田信玄に破れる(12/22)
1572 サン・バルテルミーの大虐殺〜仏王妃が新教徒の拡大を恐れてフランス全土で新教徒5万人を殺す
1572 明智光秀(45歳)が琵琶湖畔に坂本城を築く
------ 天正1年 2年 3年-------
1573 武田信玄が病没する
1573 小谷城の戦いで浅井家滅亡(8/28)
1573 足利義昭が挙兵し破れて、室町幕府が滅亡する。これより安土桃山時代
1574 越前の門徒が平泉寺を焼き払う
1574 武田勝頼が徳川氏の高天神城(静岡県大東町)を陥落させる
1574 織田信長が長島一向一揆を平定(9/29)
1575 長宗我部元親が一条兼定を下し、土佐を統一
1575 この頃、秀吉が石田三成を召し抱える
1575 柴田勝家が越前に派遣され、一向一揆を平定(8/19)
------ 天正4年 5年-------
1576 織田信長が安土城にうつる。石山本願寺との戦いが再開(7/13)
1576 長篠の戦いで武田軍団が大敗北(5/21)し、衰退する
1576 宣教師ワリニャーニが来る〜のちに少年使節と同行
1577 織田信長が右大臣になる。松永秀久が謀反し、殺される。筒井順慶に大和郡山20万石が与えられる
1577 織田信長が雑賀一揆を平定(3/15)
------ 天正6年 7年-------
1578 上杉謙信が死去(3/13)。死後、家督相続争いが起こる
1578 明智光秀が波多野氏の八上城(篠山町)を包囲する(3/14)
1578 明智光秀の娘お玉が細川藤孝の子忠興に嫁ぐ
1578 織田信長の水軍が毛利水軍を制し、石山本願寺が衰える(7/16)
1578 島津義久が大友家を耳川で破り、日向国の支配権を確立
1578 上月城が落城し尼子氏と赤松氏が滅亡(12)
1578 斉藤利三(明智光秀の重臣)にお福(春日局)が生まれる
1579 羽柴秀吉が三木城を包囲(6/29。〜1580)。竹中半兵衛が死去(1544〜)
1579 徳川家康が妻・築山殿と子・信康を殺す(8/29)
1579 小堀遠州が長浜に生まれる(〜1647)
------ 天正8年 9年-------
1580 明智光秀が三木城を開城させる(1/17)
1580 織田信長が石山本願寺、北陸の一向宗を降伏させ、宗教勢力がほぼ一掃される。
教如が石山本願寺をでる(8/2)
1580 明智光秀が丹波国主になる
1580 スペイン人、英国人が平戸に来る
1580 英国で『グリーンスリーブス』が歌われ始める(英国書籍出版商組合の機関誌に記録があるらしい)
1580 スペインとポルトガルが合併する
1580 龍造寺らの勢力が、長崎貿易を独占している大村忠純を妬む。そこで大村は長崎をイエズス会に寄進する
1581 羽柴秀吉が鳥取城を攻め(3/18〜)、吉川が降伏(12/25)
1581 オランダが英国の後援で独立宣言し、共和制をとる。宗主国スペインは報復措置としてリスボン港の
使用を禁じる。オランダは打開策としてインド航路を開く
1581 コサックがシベリアに進出する
1581 亀井茲矩が因幡・鹿野に領地をもらう(〜1612)
------ 天正10年 11年-------
1582 少年使節がヨーロッパへ派遣される(ローマ法王及びローマ市民から大歓迎される)。宣教師ワリニャー
ニが同行
1582 織田信長が甲州征伐令を発し、徳川、北条が呼応する(2/3).。武田勝頼が自刃して武田家滅亡(3/7)
1582 本能寺の変(6/2)、秀吉が備中高松城を開城させ(6/4)、姫路に到着(6/7)。山崎の合戦(6/13)
1582 織田家遺臣による清洲会議(6/27)
1582 長宗我部元親が勝瑞城の十河存保を攻め落とす(9/21)
1582 グレゴリオ暦が決定される〜ローマ法王グレゴリウス13世が82年10月4日の翌日を10月15日とし、途中
の10日間を省略した。さらに400年に3回閏年を省くことにした
1583 賎ヶ岳の戦いで豊臣秀吉が覇者となる(4/20)。大坂城の築城に着手(9/1)
1583 ガリレオが振り子の等時性を発見
------ 天正12年 13年-------
1584 長久手の戦い。決着が付かず、以後、徳川家康の発言力が強大になる
1584 筒井順慶が死去(8/11)
1584 秀吉が工事中の大坂城に移る(8)
1584 宮本武蔵が美作国(岡山県)に生まれる〜『エッセイで楽しむ日本史 下』284ページ
1585 秀吉が、自分は萩中納言の子であると自称する
1585 羽柴秀吉が関白になり、藤原と改める。大坂城完成
1585 本願寺が出来る〜秀吉が、京都堀川七条に土地を寄進
1585 長宗我部元親が四国の大半を統一するが、秀吉に征伐される
1585 じゃがいもがスペインから英国へ送られ普及する
------ 天正14年 15年-------
1586 島津家が豊後国の一部を除き、九州を統一
1586 秀吉が太政大臣となり豊臣姓をもらう
1586 中国人がマニラに移住し、計1万人になる
1587 豊臣秀吉が大坂を出発(3/1)、小倉到着(3/28)、秀長が日向高城で島津を下し(4)九州は平定される
1587 バテレン追放令でキリスト教の布教を禁止する。ガラシャ婦人が洗礼を受ける
1587 黒田如水が城井谷の宇都宮氏を攻める〜如水とはポルトガル語でキリストを意味しないか?如水は
ローマ字刻印の印を洗礼名で用い「JOSUI SIMEON」
------ 天正16年------
1588 伊達政宗が大崎領に侵攻(1)。佐竹・芦名連合軍が伊達領に侵入(6)
1588 アルマダ戦争。スペインの無敵艦隊が英国に上陸をめざし、破れる。スペインは1000トン級の大型船を
中心に130隻、英国は小型船80隻
1588 じゃがいもがスペインからオーストリアに送られ、さらにフランスへも送られ、じゃがいもが普及する
1588 ヨーロッパで大型金貨の発行が盛んになる
1588 シェイクスピアがロンドンに出る
1588 秀吉が京都の南蛮寺を閉鎖する
1588 天正大判と円歩金が鋳造される。刀狩令
1588 秀吉が後陽成天皇を聚楽第に招く。秀吉に鶴松が生まれる
------ 天正18年 19年-------
1590 秀吉の小田原攻め開始(4)。伊達政宗が小田原に参陣(6/5)
1590 蛎崎慶広が秀吉から「蝦夷島主」の称号を与えられる
1590 北条家の滅亡(7)により豊臣秀吉が日本統一。徳川家康が関東に移封される
1590 宣教師ワリニャーニが少年使節とともに帰国し、活字印刷機を紹介し、日葡辞書や平家物語を印刷
1590 秀吉が国書を朝鮮国王に渡す
1590 大久保彦左衛門が、沼津2万石の兄忠佐から養嗣子にのぞまれるが、断る。(1622年に関連記事)
1590 中部ヨーロッパで魔女狩りが盛ん(1660頃まで)
1591 秀吉が朝鮮征服を諸大名に命令する(9)
------ 文禄1年 2年-----
1592 文禄の役〜17万人が釜山に上陸(4)。20日後首都を占領。朝鮮側は壬辰倭乱という
1592 ビルマがアユタヤ朝を攻撃し、敗北する
1592 長崎奉行をおき、朱印船の制度を設ける
1593 日本軍は食料不足で釜山まで退却を決定(2/27)、釜山に退却(4/7)
1593 豊臣秀頼が生まれる。みりんが造られる
1593 天草本伊曽保物語、切支丹版平家物語
------ 文禄3年 4年-----
1594 明で、道教の関羽信仰により、関帝廟がつくられる
1595 秀吉が、お市の方の三女・お江与を徳川秀忠の正妻にする
1595 『ロミオとジュリエット』シェイクスピア
1595 オランダが積極的に東洋貿易に乗り出す
------ 慶長1年 2年-------
1596 『リチャード2世』シェイクスピア
1596 服部半蔵が病没(11/4)
1596 オランダが初めて東洋(インドネシア)に達する(6)
1596 長崎でキリシタン26人を処刑(12/19。西暦では1597/2/5)
1597 慶長の役〜14万人。全羅道を攻撃(8)、3カ月後に退却。非戦闘員多数を負傷させ、職人などを連行。
加藤清正が蔚山城に篭城する
1597 明軍が慶州に集結する(12/19)
1597 お江与が長女・千姫を生む
1597 『ベニスの商人』『ヘンリー4世』シェイクスピア
------ 慶長3年 4年------
1598 『夏の夜の夢』シェイクスピア
1598 太閤検地により全国の総石高は1850万石と分かる。検地は税収予定量を把握する手法である
1598 豊臣秀吉63歳が死去(8/18)。日本軍の朝鮮からの引揚完了(11/26)
1599 前田利家が死去し、徳川家康のライバルがいなくなる
1599 『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア
------ 慶長5年------
1600 オランダ船デ・リーフデ号が豊後臼杵に漂着。日蘭国交のはじまり。英国航海士ウィリアム・アダムス(三浦
按針)はのちに家康から三浦郡に250石を与えられる、墓は横須賀市。同乗のオランダ人ヤン・ヨーステン
は東京・八重洲の地名のもとになる
1600 シェークスピアの名が初めて出版登録簿に載る(36歳)
1600 関ヶ原の戦い(9/15)。島津義弘が敵中を突破し、鹿児島に帰還。井伊直政が石田三成の居城・佐和山
城を攻撃(9/15)。石田三成が京都で刑殺される(10/1)
1600 日本の総耕地面積は163万5千町歩、人口1227万人
1600 『お気に召すまま』シェイクスピア
1600 英国がオランダに対抗するため東インド会社をつくる。永続的な経営を行い、株式会社の先駆けとなる
------- 慶長6年 7年-------
1601 『ハムレット』、『ウィンザーの陽気な女房たち』シェイクスピア
1601 慶長大判、小判、一分金が鋳造される。銀座をおき、丁銀と豆板銀を鋳造する
1602 『オセロー』シェイクスピア
1602 オランダが過当競争防止のため東インド会社を作る(営利法人。インドネシア支配のきっかけとなる)
1602 本願寺が東西に分裂〜家康が京都烏丸七条に土地をあたえる
------ 慶長8年 9年 平和時代-------
1603 徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く
1603 出雲の阿国が、かぶき踊りで人気を得る
1603 『日葡辞典』(長崎イエズス会編)が刊行される
1603 エリザベス女王が死にスコットランド王ジェイムズ1世即位(3/24)〜スチュアート朝
1603 江戸城下の建設に着手
1604 中国産生糸貿易の利益確保のため、特定の商人に特権を与え、ポルトガル商人の追い出しを
図る(糸割符制)
1604 千姫(7歳)が豊臣秀頼に嫁ぐ。春日局が家光の乳母となる
1604 毛利家が萩に移る
1604 近畿以西監視のため、井伊家に彦根城の築城を命じる
1604 徳川家康が蛎崎慶広の蝦夷支配権を認め、北海道への入船は蛎崎氏の許可が必要になる
1604 欧州で超新星爆発が観測される
------ 慶長10年 11年------
1605 徳川家康が将軍職を秀忠にゆずる
1605 タバコが長崎に持ち込まれ、栽培がはじまる
1605 越中で、黒色火薬の原料硝酸カリウムを発酵によりつくる
1605 『ドン・キホーテ』セルバンテス
1606 『マクベス』『リア王』シェイクスピア
------ 慶長12年 13年-------
1607 『アントニーとクレオパトラ』シェイクスピア
1607 スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王になり、両国が連合王国になる
1607 英国が北米大陸に最初の植民地ジェームズタウンをもうける
1607 儒者・林羅山が徳川家康の侍講となる
1607 李氏朝鮮と国交回復する、第1回朝鮮通信使、総員467人
1608 『日本大文典』ロドリゲス
------ 慶長14年-------
1609 島津家が琉球王国を征服する
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