年表01
------- 無 -------
存在という概念の無い世界。0の地点
------- 宇宙創世 -------
無限の過去 宇宙に始まりはない、つまり創造の瞬間はないとホーキング博士は考えている
(紀元前)
15,000,000,000 ビッグバン。このとき、宇宙の大きさはゼロ。10マイナス36乗秒で宇宙のインフレーション。1秒後
に宇宙の温度は100億度までさがる。この温度は水爆の爆発と等しい。100秒後、宇宙の温度は
十億度に下がり、重水素の原子核が発生。10分後、核反応が終わる。1000秒後、ヘリウム合成。
数時間後、元素の発生が終わる。30万年後、宇宙の温度は1万度を切り、プラズマ状態になる。
100万年後、宇宙は単に膨張を続ける。さらにその後、宇宙の他の領域より密度の高い部分が、
局部的に回転をはじめる
------ 天体の形成 -------
14,000,000,000 重力の作用で銀河やクェーサーなどの天体が形成される
?? 銀河内の水素ガスとヘリウムガスが分裂し雲をつくり、収縮し、原子同士が衝突して高温になる
?? 銀河内で核融合がはじまる
12,000,000,000 クェーサー(準恒星状電波源)が集中的に発生する
10,000,000,000 球状星団が形成される
4,600,000,000 太陽と地球が誕生。太陽系は銀河系を回転し、銀河系は乙女座銀河団の回りを10億年から
100億年?の周期で公転する。これら全体がどのように公転するかは分かっていない。地球の
寸法は直径12800km、重さ1兆トン×60億倍。火星南半球にクレーターが出来る。
------ 先カンブリア時代 ------
4,500,000,000 月が誕生(親は地球の一部か他の天体)。地球直径の数倍の近さで回転しており、しだいに
地球から遠ざかる
4,400,000,000 月が冷えて、表面にクレーターができる(〜40億年)
3,900,000,000 この頃まで月に隕石が衝突する
3,800,000,000 月に火山活動による”海”ができる(〜20億年)
3,600,000,000 地球は非常に高温のまま
3,500,000,000 火星のクレーターを溶岩がおおう
3,200,000,000 最古の化石が造られる?
3,000,000,000 クェーサー形成が終る
3,000,000,000 単純な細菌やらん藻類が海中に生じる
2,000,000,000 この頃地球の一年は448日
2,000,000,000 南アフリカとカナダにウラン紘が形成される。これ以前には大気中に酸素は存在しなかった、
つまりウランは酸素があると生成されない
1,800,000,000 火星にオリンポス山など盾状火山が出来る
1,600,000,000 植物の光合成で大気中に酸素が増える
900,000,000 遺伝情報を核にもつ生物が現れる
600,000,000 最初の動物が現れる
------ 古生代 -------
590,000,000 カンブリア紀になる。温暖化で動物が多数出現
505,000,000 カンブリア紀からオルドビス紀になる。温暖
450,000,000 初期の脊椎動物が現れる
438,000,000 オルドビス紀からシルル紀になる。やや寒冷化
408,000,000 シルル紀からデボン紀になる。温暖化。魚類時代と呼ばれ、シーラカンスや肺魚などが発生する
400,000,000 この頃地球の一年は400日
400,000,000 オウム貝からアンモナイト類が進化、陸上植物が発生
360,000,000 デボン紀から石炭紀になる。温暖から低温へ。爬虫類が発生する
300,000,000 この頃地球の一年は391日
300,000,000 温暖化で植物が大繁殖し、化石が石炭になる
286,000,000 石炭紀から二畳紀になる。南半球は氷期
286,000,000 両生類と爬虫類の両方の特徴を持つセイムリアが現れる
?? 各大陸がぶつかりあって単一の大陸になる
----- 中生代 ------
?? 哺乳類に近い爬虫類が現れる
248,000,000 二畳紀から三畳紀になる。温暖
225,000,000 鳥類の先祖があらわれる?
213,000,000 三畳紀からジュラ紀になる。温暖で湿潤。ジュラ紀から白亜紀の間は氷河がなかった
210,000,000 ジュラ紀前期。全大陸が分裂し始める
200,000,000 火星のオリンポス山がこの頃まで火山活動をする
190,000,000 ジュラ紀中期
160,000,000 ジュラ紀後期。最大の恐龍ブラキオサウルスは体長22メートル、高さ11メートル、体重78トン、
脳の重さ100グラム
150,000,000 始祖鳥があらわれる
144,000,000 ジュラ紀から白亜紀になる。気候が多様化する
140,000,000 白亜紀前期
?? 大西洋がつくられる
?? 白亜紀中期。旧大陸の分列が終わる
?? 被子植物が繁茂し始める
100,000,000 白亜紀後期
83,000,000 カンパニアン期になる
73,000,000 カンパニアン期からマストリヒシアン期になる
------ 新生代 -------
65,000,000 中生代が終わり、新生代第三紀暁新世になる。恐竜が絶滅し、哺乳類時代となる
65,000,000 直径10キロ重さ1兆トンの隕石が地球に衝突し、ほとんどの生物が死滅する(ルイス・アルバレス説)、
または地球内部に大きな変化がある。以降500万年、低温が続く。
60,000,000 温暖になり、常緑樹やシュロが繁茂する。日本の石炭のほとんどが造られる
54,900,000 第三紀暁新紀から始新世になる
50,000,000 プレアデス星団が誕生
38,000,000 第三紀始新世から漸新世になる
25,000,000 日本列島が徐々に形成される
24,600,000 第三紀漸新世から中新世になる
22,600,000 第三紀中新世
5,100,000 第三紀中新世から鮮新世になる
5,000,000 ペルセウス2重星団が誕生
------- 人類の黎明 ------
4,000,000 猿人がアフリカに誕生する(〜300万年)
2,000,000 第三紀がおわる
2,000,000 第4紀更新世(〜1万年前まで氷河時代。日本はまだ大陸の一部)
1,790,000 天孫降臨?
1,750,000 南アフリカでアウストラロピテタス群
500,000 ジャワ原人や北京原人が現われる。先土器文化
150,000 ネアンデルタール人、明石原人が誕生
140,000 日本最古の遺跡(宮城県古川市。まだ原人の段階)
100,000 牛川人
30,000 クロマニョン人(ホモ・サピエンス)が誕生
30,000 日本は前期旧石器時代で、この時代の遺跡は30カ所
30,000 この頃、大陸から日本列島に人類が移動?
25,000 ナウマン象が存在する(長野県野尻湖畔。旧石器時代)
18,000 沖縄県具志頭村の港川人
16,000 ムー大陸が太平洋に沈没。但し信憑性はゼロ
16,000 日本は後期旧石器時代
14,000 日本の石器が細く鋭利になる
11,000 アトランティス大陸が存在した。但し信憑性はゼロ
10,000 北海道以外は縄文土器時代に入り、貝塚が造られる
8500 氷河期が終る
8000 オリオン座大星雲(M42)が誕生
----- 文明の誕生 -------
8000 メソポタミアで初期農耕と牧畜の開始
8000 日本が大陸から離れはじめる
7500 縄文時代早期
7000 ヨルダン渓谷に世界最古の要塞都市ジェリコが創設される。現在も都市である
6500 温暖化により日本列島は大陸から完全に切り放される
6000 縄文早期
6000 この頃から葡萄酒が飲まれる。エジプトで初期の農耕
5800 ユーゴに都市が芽生える
5000 日本の推定人口は29,000人?
5000 聖アウグスチヌスは『神の国』で紀元前5000年を宇宙創造の年と設定
4000 縄文時代前期。メソポタミアで平焼きパンを食べ始める
4000 中国で初期仰韶文化。原始農耕村落の誕生。揚子江流域で米が栽培される
4000 メソポタミアまたはエジプトで彩文土器が造られる。シュメールが青銅器時代に入る
4000 ナイル河畔に40余りの都市国家ができる
3500 この頃南ロシア草原で馬が家畜として飼われる、年代特定は不可能か?
3500 トロイア第1市
3300 西ヨーロッパ巨石文化。シュメールで都市文明と楔形文字がはじまる
3100 エジプト初期王朝のうち第1王朝がおこる。象形文字の出現。首都をメンフィスとし、国王をファラオ「大きな
家」と呼ぶ。パピルス紙も使用
3000 この頃までに酒が飲まれるようになる
3000 縄文海進。温暖になり、極地の氷河が溶けて海水位が上昇
3000 縄文文化が南千島から沖縄に及び、土器が多彩になる。縄文時代中期
3000 メソポタミアでウル、ウルクの都市国家ができる
3000 上下エジプトをナルメル王が統一する。エーゲ海文明
2800 メソポタミアで初期王朝
2781 エジプトで太陽暦の創始
2750 エジプト初期王朝のうち第2王朝
2700 エジプトで初期王朝時代が終わり古王国時代となる。第3王朝で、中央集権国家となる。巨大建築で数学
と天文学、測量が発達
2650 エジプトでピラミッドとスフィンクスが初めて創られる
2600 クレタ島で青銅器文化。エジプト古王国時代の第4王朝
2500 メソポタミアでウル第1王朝(シュメール人)。1927年の発掘により、王墳がみつかり、殉死者と銅剣、金銀
細工や飾板などが出土。ことばはシュメール語で、楔形文字
2500 日本の推定人口は26万人
2500 シリアでアムル人とカナン人が遊牧を営む
2500 中国で彩陶文化(仰韶文化)〜または2200または3000
2500 西アジアで青銅器の鋳造技術が発見される?
2500 インダス文明(舗装道路、排水設備が完備され、公衆浴場もあった。南インドにすむトラビダ人の先祖か)
2500 英国に巨石群ストーン・ヘンジが作られる(〜2000)
2480 エジプト古王国時代の第5王朝
2400 メソポタミアの都市国家が他の都市国家を支配するようになる
2370 アッカド人のサルゴンが即位(〜2320)
2350 北メソポタミアにアッカド人がアッカド朝をつくる。アッカド人はのちのバビロニア人。さらに南下し南メソ
ポタミアのシュメール人の王国を征服。煉瓦造りの家と楔形文字。
2350 エジプト古王国時代の第6王朝
2340 ピラミッドに象形文字が刻まれる(発見されたもののうち最古のもの。第5王朝ウスナ王のピラミッド)
2313 ノアの洪水?(洪水伝説は世界のあらゆる地方にある)
2254 アッカド朝の第4代シンが即位し、勢力が地中海沿岸に達する
2200 エジプトで古王国時代がおわり第1中間時代。第7王朝
2112 メソポタミアでウルが復興し第3王朝(〜2004)
2050 エジプトで第1中間期が終わり中王国時代となる。第11王朝で全エジプトを統一。神殿をつくり、地中海
貿易をおこす
2000 これ以前に西アジアで太陽信仰に基づく「ミトラ信仰」が起こる
2000 この頃、エジプトで発酵パンが作られはじめる。年代特定できず
2000 小アジアのヒッタイトが鉄をつくる
2000 この頃、オリエントでガラスの製法が開発される。場所は不明
2000 シリアのアモリ族がメソポタミアに侵入し、小国家バビロンをつくり、やがてメソポタミアを統一。古バビロニア
2000 この頃、中米とアンデス山中に定住農耕社会ができる
2000 インダス文明が滅びる(アーリア人の侵入または森林破壊が原因か)
2000 トロイア第2市が焼失する。ユダヤ民族がシリアへ移動
2000 日本は縄文時代後期で、抜歯が普及する
1894 バビロン第1王朝(〜1600頃)
1800 アブラハムの族長時代(他説1700または1750)
1800 ヒッタイトが興る。葡萄酒を洗礼に用い、7曜を設け日曜日を休日とする
1792 バビロン第1王朝のハムラビ王即位(〜1750)。南北メソポタミアを初めて統一。ハムラビ法典は1901年
スサで出土。慣習法と成文法を集大成したもので全282条。王室法、刑法、民法などから成る。同害報復
では身分差がみられる
1780 エジプトで中王国時代が終わり第2中間期となる。第13王朝
1766 殷王朝成立(湯王が夏を滅ぼす)
1730 ヒクソスがエジプトに馬と戦車で侵入。エジプト初の異民族支配
1700 この前後に中央アジアのアーリア人がイラン高原に移る
1700 この頃エジプトで「エーベルス・パピルス」と名付けられた文書に、歯の治療に関する事柄が書かれる。
〜『シーザーの晩餐』P49
1600 クレタ文化の最盛期。ヒッタイトがバビロン第1王朝を滅ぼす
1600 エジプトの碑文に都市名の「ダマスカス」という文字がみられる
1570 エジプトで第2中間期が終わり新王国時代となる。第18王朝。ヒクソスを追放しテーベを首都に定め、
初めてメソポタミアまで遠征。ピラミッドはつくらず、王家の谷に地下王墳をつくる
1500 この頃、アーリア人がインド及びイランに侵入
1500 ギリシャでミケーネ文明
1500 この頃、北メソポタミアにアッシリア帝国が興る
1400 中国で殷王朝が成立。中国が青銅器時代に入る(他説1600)
1400 エジプトがパレスチナを支配する。新王国時代
1354 エジプトでツタンカーメン王が即位(〜1345)
1300 この頃から前800年代にかけてアルファベットが発明される
1300 この頃アーリア人が小アジアからギリシャに侵入
1286 エジプトのラメス二世が、パレスチナで小アジアのヒッタイトと戦い敗北する。エジプトはファラオが勝った
と記録した。エジプトの弱体化
1275 モーセによるエジプト脱出(他説1290頃または1250頃)
1250 イスラエルに12部族宗教連合ができる
1225 イスラエルで宗教指導者による政治が始まり、士師時代となる
1200 小アジアのヒッタイトが崩壊する
1200 インドのアーリア人が『リグ・ベーダ』をまとめる。カースト制の起源
1193 トロヤ戦争(ギリシア神話ではパリスの審判が原因としている)。トロイアの落城は1200年、1250年、1136年
など複数説がある
1090 エジプトで新王国時代が終わり、末期王朝時代となる。第21王朝
1122 殷が滅亡し(または1028年)周が中国を統一。周は殷の腐敗を除くためとした。殷の人々は四散し商人
となる
1100 この頃、中国で星座を28に区分する
1100 この頃、フェニキア人が象形文字を簡略化させ、22文字から成るアルファベットを考案する
1020 イスラエルでサウルが最初の王となる
1010 イスラエルでダビデ王即位(または993年。〜970?)
1000 この頃までにアーリア人がガンジス川流域に定着。バラモン教がはじまり、カースト制が作られ、今日に至る
1000 日本は縄文時代晩期。製塩は、土器に海水を入れ、煮詰めていた
961 この頃ソロモンが王位につく。シバの女王がソロモン王を訪ねる
931 ソロモンが死に、息子レハベアムが王位につく
933 イスラエルの分裂(または931。ソロモンの息子が賢くなかった?)
900 この頃、ギリシアでドーリア人の南下が終わり、都市国家が建設される
841 中国では共和元年。司馬遷の年表は、年代の確実なこの年にはじまる
814 この頃、フェニキア人がカルタゴを建設。フェニキア人とはシリア海岸地方のカナン人に対するギリシア語読み
800 この頃、『イーリアス』『オデュッセイア』ホメロス
770 周が洛陽に遷都し春秋時代となる。周は諸侯のひとつにすぎなくなる
770 これ以降に中国で陰陽五行説
776 第1回オリンピック開催、この頃ギリシャに都市国家が誕生
753 ローマ建国(但し伝説)
722 イスラエル王国滅亡。ユダヤ人の一部がオリエント各地に散り、商業民族となる。預言者はアモス、ホセア、
イザヤ
706 神武天皇が日向で太子になる?
700 この頃、ギリシア人がフェニキア文字からギリシャ文字をつくる
681 斉の桓公が即位する(または679。春秋五覇のひとり)
671 アッシリアがエジプトを征服し、オリエントを統一(アッシュール・バニパル王が図書館を建設し、粘土板を
保存。人類初の叙事詩『英雄ギルガメシュの物語』も蔵書の一つ)
670 小アジア北部でリディアの建国
667 神武が東征に発つ?
663 アッシリアがエジプトから去る
660 神武天皇が大和の橿原宮で即位?
640 イラン高原でメディアが興る。小アジア北部まで領有
630 イラン東部でゾロアスターが生まれる
625 新バビロニア建国。イラクからヨルダン付近の王国
621 イスラエルで申命記による宗教改革。預言者はエレミア
612 新バビロニアとメジア連合軍により、アッシリア帝国を滅ぼす。オリエントは4国分立時代になる
612 エジプトで新王国が復興する
610 リディアで世界初の本格的貨幣がつくられる
606 楚の荘王が鼎の軽重を問う
600 この頃より中国で鉄器の使用が広まる
600 エジプト王ネコの命令で、フェニキア人がアフリカを3年かけて一周
600 この頃イラン高原でゾロアスター教創始。光と闇、善悪、心霊と物質による二元論、禁欲や輪廻の否定、
死者の復活と最後の審判、メシア思想、天使と悪魔の最終戦争、などが特徴。聖書に影響あり?阿修羅、
呪術は仏教に影響?光崇拝から阿弥陀仏や大日如来の原型になった?
600 この頃、ローマに下水溝「クロアカ・マクシマ」を築造する。〜『シーザーの晩餐』P39
600 この頃『イソップ寓話集』アイソーポス
594 ギリシャでソロンの改革
587 新バビロニアが繁栄する(ネブガトネザルの空中庭園、バベルの塔等)空中庭園は誤訳。太陽観測の
ため黄道を12等分し12宮を発案
586 新バビロニアがユダ王国を滅ぼす、第1回バビロニア捕囚
585 神武天皇が127歳で死ぬ?
572 ピタゴラスが生まれる(〜492)
566 釈迦(アーディッティヤバンドゥまたはイクシュバァーク・クラ・ナンダナ)が生まれる?。悟りを説くが人間に
実行は不可能。前463年説もある
559 ペルシャでキュロス2世が即位(〜530)のちにオリエントを統一。キュ
ロスはメディア朝に仕えていたアケメネス家の王
558 ペルシャにダリウスが生まれる。のちにペルシャ王
551 孔子が生まれる。社会道徳と孝行を説く
550 キュロス2世がメディアを滅ぼし、アケメネス朝ペルシャを建国
546 アケメネス朝が小アジアのリディアを滅ぼす
539 アケメネス朝が新バビロニアを滅ぼす。キュロス2世は征服地で寛大な政策を採る
538 アケメネス朝がユダヤ人を解放する
525 アケメネス朝カンビセス2世がエジプトを滅ぼし、オリエントを統一する
522 アケメネス朝でダリウス1世(558生まれ)が即位。インドのガンダーラとパンジャブ地方に侵攻。官僚制と属州
制をとりいれ、全土を20の州に分け、官吏と監察官を派遣する。商業語としてアラム語を採用。道路を整備
509 ローマが共和制になる
509 孔子が魯王定公に仕える〜『山月記』注釈より
500 この頃、仏教がおこる。この頃、旧約聖書ヨブ記が書かれる
500 この頃、シリアのダマスカスを拠点とするアラム人が陸上貿易を独占していて、アラム語がオリエントの公用
語になる
500 この頃、ローマの勢力範囲はローマ市近辺のみ
500 この頃、黒海沿岸のスキタイ人が騎馬をはじめる。年代不詳
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年表02
500 この頃、哲学者ヘラクレイトスが生存。「万物は流転する」と言う
500 アナトリアのギリシャ植民地がペルシャに反乱、ペルシャ戦争に至る
497 孔子が諸国を10年間放浪する(中島敦「山月記」所収の『弟子』を参照)
496 呉越の戦いが起こり、呉王が死ぬ(または494。臥薪嘗胆の故事)
492 ペルシャがマケドニアに侵入。第1回ペルシア戦争
490 第2回ペルシア戦争。マラトンの戦いでペルシャが敗北し、エジプト、バビロニアでの反乱を誘発
486 釈迦が八十歳で孤独に死ぬ? おそらく葬式はなく、野ざらしで捨てた
485 伍子胥が誅殺される(日暮れて道遠しの故事)
484 孔子が魯に帰り経書を整理
480 第3回ペルシア戦争。サラミスの戦い他。アテネ市がデロス同盟の盟主になる
479 孔子が死ぬ
477 第1回仏典結集。シャカの教えの再確認
473 越王句践が呉を滅ぼす
469 ソクラテスが生まれる(〜399)
467 文書のレトリックの始め。シチリア島の住民が、土地訴訟の手続きのため、説得力のある文書を書く
453 晋が趙、韓、魏の3国に分裂する
450 ヒポクラテスがコース島に生まれる。ギリシャ人で、西洋医学の祖
445 エズラ、ネヘミアによりユダヤ教の基礎ができる
444 モーセの五書が聖典となる。アテネが黄金時代となる
431 ギリシアでペロポネソス戦争〜アテネとスパルタの内戦で、ギリシアは荒廃し、全体として衰弱していく
428 プラトンが生まれる(〜348。ソクラテスの弟子)
428 ユダヤ教の成立?
424 スパルタ側がアテネを圧倒する
421 アテネとスパルタが和平
418 アテネの主戦派がスパルタを攻め、破れる
413 スパルタがアテネを攻め、アテネは盟主の地位を失う
404 ペロポネソス戦争が終わる
404 この頃『歴史』ツキジデス。ペロポネソス戦争を後世への戒めとして記述
400 この頃、中国から朝鮮に青銅器が伝わる
403 趙、韓、魏の3国が周王室から諸侯と認められる。戦国時代となる
384 アリストテレスが生まれる(〜322)哲学と科学の総合。この人の天動説がその後コペルニクスの時代まで
支持される。『天体論』で地球が球体であると論証。月食の観察、北極星が見る場所で位置が異なる
373 アカイアの都市ヘリケー市が海中に沈む
372 孟子が生まれる(〜289?)
350 この頃北九州で縄文時代が終わり、稲作による弥生文化がおこる
338 商鞅(秦を法治国家にした政治家)が恵王に殺される
----- ヘレニズム時代 ------
336 マケドニアでアレキサンダー大王が即位
334 アレキサンダー大王がマケドニア、ギリシア連合軍歩兵3万人騎兵五千人で遠征開始
334 越が楚によって滅ぼされる。越人の一部は中国南部に逃れる
333 蘇秦の合従策が成る
333 アレキサンダー大王がシリアでペルシャ軍を破る。エジプトに転じて歓迎され、アレキサンドリア港を建設。
メソポタミアにいたり、ダリウス3世の残り勢力を破る。ペルセポリスの王宮を焼き払う
333 『弁論術』アリストテレス。現存する最古のレトリック教科書
332 エジプトが滅亡。末期王朝時代が終わる
330 アケメネス朝ペルシャが滅亡。アレキサンダー大王がギリシア・マケドニア連合軍を解散し、マケドニア、
傭兵でガンダーラに侵攻
324 ペルシャ湾岸スサで、アレキサンダー大王がペルシャ女性1万人と集団結婚をさせる
323 アレキサンダー大王(32歳)がインドからバビロンに戻り、熱病で死去
322 アリストテレスが死ぬ
321 インドでマウリヤ朝成立(チャンドラグプタ王)
320 ギリシアのアリスタルコスが、日食の現象をもとに地動説を唱える
319 斉の宣王が即位し、孟子らの学者を招く
312 ローマがアッピア街道の建設に着手(現代でも戦車の通行が可能な道路。ローマ人は直線道路を好み、
橋をやたらに造った)
312 セレウコス朝シリアが興る。アレキサンダー大王の政策を引継ぎ、全土にアレキサンドリア市を70カ所
つくる。ギリシア人を集団移住させ、ギリシア文明がオリエント全域に及ぶ
306 マケドニアにアンチゴノス朝の建国
304 プトレマイオス朝エジプト建国〜プトレマイオスはアレキサンダー大王の幕僚のひとり。クレオパトラが
最後の王。首都アレキサンドリア市が百万都市に発展
300 日本の稲作は350頃から半世紀で、東北地方まで広がる。集落は堀や柵で囲まれるようになる。平地式
住居が始まる
300 この頃、ギリシャで砒素の毒性が知られている
300 この頃、ギリシア人ゼノンがストア哲学をおこす、のちにローマに伝わる
300 中国で、十二支に鼠牛虎など十二獣を当てはめる、年度の特定は不可能
299 孟嘗君が秦に招かれる。鶏鳴狗盗の故事
287 ローマで貴族と平民が平等になり、内戦状態を終結し、飛躍の時期となる
281 ローマがイタリア半島の大半を統一
280 この頃、ストア派哲学者クリュシッポスが生存
280 この頃仏教が、大衆部と上座部に分裂する
274 アショカ王が生まれる
272 ローマがイタリア半島を統一する
270 この頃『液体に浮かぶ物体について』アルキメデス
270 『ギリシャ語訳旧約聖書』が書かれる〜250年説あり
269 秦が円形方孔の貨幣をつくる
268 アショカ王(マウリア朝3代。〜232)が即位し、全インドを統一。戦争の過程で多大な犠牲を出したことから、
仏教による政治を行なう
----- 三大帝国の時代 -------
264 第1ポエニ戦争。ローマとカルタゴの地中海における覇権争いが始まる。ローマ艦隊がシチリア島に渡り、
ポエニ人を追い出す
259 秦王政が趙の首都・邯鄲で生まれる(〜210)
247 イランのアメケサスがセレウコス朝シリアから独立
247 劉邦が生まれる、のちに漢初代皇帝になる(〜195)
246 政(始皇帝)が秦王に即位する
237 アショカ王が死ぬ
232 項羽が生まれる(〜202)
230 秦が韓を滅ぼす
223 秦が楚を滅ぼす
222 秦が燕と趙を滅ぼす
221 秦王が中国を統一し、皇帝を称する。度量衡、思想の統一を行なう
218 第2ポエニ戦争。ハンニバルがアルプスを越え、イタリアに侵入。歩兵3万8千人、騎兵8千人、象37頭。
アルプス山中で歩兵は半減する。ローマはコルシカ、サルディニアをカルタゴから奪う。トレピア河の合戦
でハンニバルがローマ軍に大勝する。
217 クイントス・マクシムスがローマの独裁官に選ばれ、ハンニバルに対抗
212 アルキメデスがシチリア(ギリシア植民地)で、ローマ兵に殺される
210 秦の始皇帝が、行幸中に死ぬ
209 陳勝・呉広の乱(中国史上初の農民反乱。208年に消滅する)
207 章邯が項羽に降伏する(7)。秦王子嬰が劉邦に降伏し、秦が滅亡する
206 鴻門の会を経て、漢楚の戦い(〜202)
203 南越王国ができる(広東省からベトナムが領土)
202 項羽が垓下の戦いでやぶれ、漢の劉邦(元やくざ者)が中国を統一
200 冒頓単于がモンゴル・中央アジアを統一し、前漢も服属させる
200 この頃、朝鮮から日本に青銅器が伝わる
195 劉邦が死に、妻・呂后の独裁が始まる
194 遼東半島の燕王が匈奴に亡命し、家臣・衛満は南下し衛氏朝鮮を建国
186 ローマ軍がアンティオコス大王を撃破する
186 漢で呂后が死に、劉恒が即位して文帝となる
180 この頃、ヒンズー教の成立
168 パレスチナのマカバイオス家がセレウコス朝に反乱。迫害を通じて少年ダニエルを物語った「ダニエル書」
ができる。終末観が明快になり、救い主つまりメシアへの願望がギリシャ語でキリストと表現される。
164 ローマでかなり正確な日時計が作られる(『ローマ人の素顔』P255)
160 この頃、旧約聖書が完成
159 漢の武帝が生まれる(〜87)
154 呉楚7国の乱。漢の中央集権制が促進される。景帝の子劉勝が中山国王になる
150 この頃ギリシャの天文学者ヒッパルコスが、春分点を基点とし、黄道上を12等分した
「黄道12宮」を考案する
149 ローマがイベリア半島南部のカルタゴ領を奪う
146 ギリシアとマケドニアがローマの属州となる。カルタゴが滅亡し、ローマがアフリカ州を置く。ローマは
地中海の支配者となる
145 司馬遷が生まれる(〜86)〜『李陵』中島敦を参照
142 パレスチナで、ユダヤ王国がセレウコス朝から独立
141 バクトリアの勢力がチグリス川まで達する
141 漢の武帝が即位し(または140年)、中国で年号が始まる
139 武帝が使者を中央アジアに派遣
133 ローマが小アジアに進出
129 ギリシャで皆既日食が記録される。
124 エジプトで数学者クテシビオスが水時計を発明。堀米35
113 ゲルマン民族が度々北ドイツからローマ領内に侵入する(〜前101)
108 漢が衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡など4郡をおく
100 この頃、ローマで砒素の治療薬としての効能、毒性が論じられる
100 この頃、弥生時代中期で、国がつくられる
99 李陵が匈奴に降る。李陵を弁護した司馬遷は武帝の怒りを買い宮刑に処せられる
97 『史記』司馬遷
97 日本で崇神天皇が即位??
87 漢の武帝死ぬ。漢帝国は衰弱に向かう
86 崇神天皇が人民を調査し、調役を課す?
73 ローマでスパルタカスの乱(71〜)。剣奴スパルタカスが脱走しローマ軍を破り、12万人に膨れ上がる。
クラッススが平定
70 アルケサス朝ペルシャとローマの抗争がはじまる
63 ローマがセレウコス朝シリアを滅ぼす
60 ローマで三頭政治。クラッススとポンペイウス、カエサル。
58 カエサルがガリア遠征(現フランス)。三頭のうちカエサルだけが武勲をたてていなかったので遠征を計画した
55 カエサルがブリテン島(現イギリス)に遠征
54 『弁論家について』キケロ。レトリック研究書
52 ガリアのケルト人がローマに反乱。カエサルが鎮圧し、ガリア人の尊敬を受ける。ポンペイウスがカエサル
を恐れる
50 この頃、北九州は鉄器時代にはいる
48 『ガリア戦記』カエサル
46 カエサルが「ユリウス暦」をつくり、1年を365日とする。以前からの修正のため、この年を1年445日とした。
後日カエサルは1年を365.25日に修正し、4年に1度閏月をもうける。
45 ローマでカエサルが独裁官になる。この頃日本は百余りの国に分かれる
45 ローマがセステルティウス青銅貨を鋳造する
44 カエサルがブルトゥスに暗殺され(3/15)、オクタウィアヌスとマルクス・アントニウスの抗争が始まる
43 アウグストゥスが執政官に就任する
37 パレスチナで、ヘロデがローマ元老院から「ユダヤ王」の称号を受ける
33 王昭君が匈奴に嫁ぐ(後世の文人が、王昭君の話を美化する)
30 プトレマイオス朝がクレオパトラの自殺によって滅亡
27 ローマが帝制となり、アウグストゥス即位(〜後14)
27 天日槍が但馬国に来る?
20 ローマとペルシャが平和条約を結び、交易が活発になる
5 伊勢神宮ができる?
4 この頃、イエスが大工の子として生まれる
2 中国に仏教が伝わる
1 (紀元元年)
8 前漢が滅亡し、新ができる。中国の人口は推定6000万人
14 ローマが地中海全域を支配。アウグストゥスが死去(8月19日。75歳)し、ティベリウスが即位(〜37)
18 中国で赤眉の乱。眉を赤く塗る
25 劉秀(光武帝)が後漢を建国。副総理・宋弘にたいし妻を離婚し、皇女と再婚するよう命令するが、宋弘は
「糟糠の妻は堂より下さず」と答え拒否
28 イエスが布教を開始する
30 イエスが刑死する。復活の信仰とイエスが救い主であると信じる人々が教団結成に向かう
33 パウロがキリストの復活を信じて回心し、伝道旅行にたつ
37 朝鮮北部に高句麗がおこる。後漢が中国を統一。中国の人口は戦乱により1500万人まで激減する
37 ローマ皇帝カリグラが即位
43 ローマがブリテン島の大半を領有
50 この頃、般若経が完成。この頃、新約聖書の執筆開始
50 この頃、中国の貨幣が西日本一帯に存在する
54 ネロ皇帝が即位
55 『ローマ人への手紙』パウロ
57 日本の某国(倭の奴国)が後漢の光武帝に遣使し、金印をもらう
60 この頃、パウロがローマで殉教
64 ローマで大火、皇帝ネロはキリスト教徒が放火したとして迫害する
65 マルコ福音書が成る
66 第1次ユダヤ戦争。ユダヤ人がローマに反乱を起こす
71 景行天皇の即位?
79 ローマ帝国のベスビオ山が噴火し(8/24)、ポンペイが埋まる。1594年に発見される『雑学の本』95ページ
80 新約聖書のうちマタイ福音書、ルカ福音書、使徒行伝などが成立
80 皇帝ティツスがコロッセウム競技場をつくる(72着工)
81 ローマ皇帝ドミティアヌスが即位(〜96)
82 景行帝が熊襲征伐?
88 後漢の和帝が即位(〜105。宦官を使って帝位の保全を図ったが、逆に宦官が政治に介入するきっかけ
を作ってしまった)
90 新約のうちヨハネ文書が成る
97 倭建命が熊襲を退治する?常陸国風土記では倭武天皇と表記する
98 ローマ皇帝トラヤヌスが即位(〜117)
98 『説文解字』許慎。中国初の字典。象形や会意の分類をする。5953字種
100 この頃ギリシア神話が集大成される
101 現在のルーマニアに南下していたダキア人をローマ軍が覆滅し、多大な戦利品を持ち帰る
105 祭倫が製紙法を発明する。高句麗が遼東半島を侵す
107 日本の某国(面土国国王)が後漢の安帝に遣使
109 ローマ市でトラヤヌス広場の建造が始まる。(〜113)
110 倭建命が蝦夷を討つ?
113 倭建命が伊吹山で死に、白鳥になって飛び去る?
113 第2次ユダヤ戦争。ユダヤ人がローマに反乱を起こす
115 ローマがメソポタミアを属州にする
116 ローマ帝国が最大領土となり、全盛時代を迎える
117 ローマ皇帝ハドリアヌス即位(〜138)。メソポタミアを放棄
121 マルクス・アウレリウスが生まれる(4/26)。ハドリアヌス帝がブリテン島に行き、
スコットランド境界に長城を築く
132 第2ユダヤ戦争(〜135)で、ユダヤ人の大半が放浪生活に入る
133 成務帝が竹内宿禰を大臣にする?
135 第3次ユダヤ戦争
138 皇帝ハドリアヌスが死に、アントニヌス・ピウスが即位
138 ローマ皇帝がマルクス・アウレリウスを後継者として公表
140 この頃、新約聖書が完成
148 西域からアルサケスが中国に至り、仏教を翻訳、中国仏教のはじめ
155 曹操が生まれる(〜220)
160 この頃ガンダーラ美術隆盛
161 ローマ皇帝ピウスが死に、マルクス・アウレリウスが即位(〜180)。ルキウスを対等の皇帝に就ける
166 ローマ皇帝の使者が海路で後漢に着く
166 ローマがシリア方面への侵入者を鎮圧。ルキウス軍がローマ領内にペストを持ち込み、飢餓もありゲルマン
民族がアルプスまで移動する
170 日本でしばしば大乱が起こる(〜180)
170 ローマ皇帝マルクス・アウレリウスがドナウ川右岸、現ハンガリーに親征する。このとき皇帝は『自省録』
第1章を書く
175 ローマ皇帝が親征を終える
175 この頃までにフン族がウラルの草原に至る〜『アッチラとフン族』35ページ
176 ローマ皇帝が、貧民の女子5000人のために教育施設をつくり、皇帝に負債のある市民に免債の特典を与える
178 ゲルマン民族がパンノニアを襲う
180 ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが、現ウィーン市付近に遠征中、病没、これより約100年間、ローマ市民は
彼を守護神として祠る
181 諸葛孔明が生まれる(〜234)のちに劉備から三顧の礼で迎えられ、蜀の首相になる
184 中国で黄巾の乱(〜192)。中国が混乱の時代になるこの頃までに中国の人口は5000万人ほどに回復する
184 この頃、ゲルマン民族がローマ帝国内に移住
196 曹操が大将軍になり、政権を握る
200 龍樹が生存。150から250の間で、生没不明
200 神功皇后が三韓征伐?
201 神功皇后が摂政となる?
204 後漢が朝鮮に帯方郡をもうける
206 セウェルス帝がカラカラ浴場の建設に着手(1辺330メートル、収容人員1600人)
208 中国で赤壁の戦い
217 アルケサス朝がローマに最終的に勝利する
219 関羽が死去
220 魏(文帝)が後漢を滅亡させる
221 蜀が建国(昭烈帝=劉備)
222 呉が建国(大帝=孫権)。中国の人口は戦乱により魏360万人、呉150万人、蜀100万人計600万人ほど
まで激減する
226 ササン朝ペルシアの成立(〜642)。アルケサス朝(前247〜)を滅ぼす。両王朝を通じ、ペルシャ商船隊は
地中海から東シナ海の全域で商業を独占し、その銀貨が世界通貨になる
226 この年までにローマ帝国はローマ市内に11本の水道を引く。〜『シーザーの晩餐』P34
227 諸葛孔明が出師の表を奉り、魏に遠征する
229 中国が六朝時代に入る(〜589)
234 諸葛孔明が五丈原で病死
234 この頃、種子島で鉄製の釣り針が使われる。年代は不明
239 卑弥呼が帯方郡に遣使し、魏帝に朝貢を願い出る。銅鏡100枚をもらって喜ぶ。以後、日本は鏡を神聖
視する(243,245,247にも遣使)
240 魏使が倭国に来て印綬と詔書を与える
243 倭王が魏に使節を派遣し、奴隷を献じる
247 神功皇后の使者に百済・肖古王が鉄板40枚を与える?
251 フン族がカスピ海沿岸に移住する
250 この頃、銅鐸が突如造られなくなる〜3世紀後半
250 この頃インドのナーガールジュナが死去
260 ササン朝ペルシャがローマ皇帝とローマ軍団7万人を捕虜にする
263 魏が蜀を滅ぼす
265 魏が滅亡し晉が起こる。三国時代の中国は人口が激減する
265 陶淵明が「桃源郷」の詩を作る
266 倭の壹與女王が晋に遣使
270 応神天皇の即位?
278 高麗、百済、任那、新羅が来朝?
285 王仁が百済から『論語』10巻と『千字文』1巻を持って来日?
288 ササン朝が北メソポタミアとアルメニアをローマに譲渡
290 朝鮮系の阿知使主が帰化する?
297 応神天皇が、絹織物技術取得のため、阿知使主を呉?に派遣?。阿知使主の子孫は「阿知王」と言い
替える。のちの坂上田村麻呂と最澄もその一族。 「使主」とは朝鮮から来た有力者に与えられた敬称
300 この頃メキシコ中央高原に神殿やピラミッド、計画的な都市がつくられる
304 中国が五胡十六国時代になり、短期間に王朝がめまぐるしく変わる
304 朝鮮半島は侵略される危険性がなくなり三国時代になる
305 ローマ皇帝コンスタンティウス即位
311 匈奴が洛陽に進入し、75,000人を虐殺する
312 ローマが金貨中心の貨幣制度を制定する
313 コンスタンチヌス帝がミラノ勅令によりキリスト教を公認
313 高句麗が楽浪郡を滅ぼす。楽浪の住民は南下し百済に至る
316 仁徳帝が課役を3年間免除する?
325 コンスタンチヌス帝が復活祭を「春分後の最初の満月後の最初の日曜日」と決定。だから復活祭の日は
毎年移動した。中世には復活祭の日が年初めとして扱われていた
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年表03
325 ニケア宗教会議で「三位一体説」を正統な教理と決定。唯一神の欧州風への変質
326 聖ペテロ寺院ができる
326 日本で初めて橋が架けられる?
330 コンスタンチヌス帝が首都をビザンチウムに移す
354 ローマの競技日が年間175日、市民の公休日が200日となる
354 アウグスティヌスが生まれる(〜430)『神国論』『告白録』キリスト教思想家、ローマ教会
360 この頃、日本で米酢から米麹がつくられる
366 敦煌で石窟寺院の建設が始まる
367 百済の使者が日本に来る?
369 百済が倭王に鉄刀を与え、友好関係を図る。または倭国が新羅を破り朝鮮南部に至る?
372 中国秦王が高句麗に仏像と教典を送る。公的な仏教伝播のはじめ
375 フン族が南ロシアに侵入する〜『アッチラとフン族』32ページ
375 ゲルマン民族がローマ帝国に侵入し、民族大移動がはじまる
384 東晋のインド僧マラナンダが、仏教を百済に伝える
391 日本が朝鮮に出兵?
394 キリスト教がローマの国教となる(392年?)
395 ローマ帝国が東西に分裂
399 中国の僧法顕がインドに出発
405 陶淵明「帰去来の辞」
407 ローマ軍がブリテン島から撤退する
413 法顕が一人で帰国し『仏国記』を書く
420 北魏が揚子江以北を統一し、中国は南北朝時代となる(〜588)
421 倭王讃が中国南朝に遣使し(以降478まで10回)爵位を受ける?
432 聖パトリックがアイルランドで布教をはじめる
435 軽太子が伊予に配流される?
438 倭王珍が宋から安東将軍に任命される?
439 五胡十六国時代が終わる
443 倭王済が宋から安東将軍に任命される?
443 日本語を漢字で標記した最古のものが書かれる。「墨田八幡神社人物画像鏡」の銘文
451 シャロンの戦い〜アッチラの率いるフン族がバンダル人に破れ、イタリアに撤退し、ローマを威嚇。
アッチラが急死しフン族は消滅する
453 木梨軽太子が自害?
458 雄略天皇即位。人々は大悪天皇とそしる?
459 雄略帝が一事主神と会い、ともに鹿狩りをする
465 雄略帝が新羅を攻める?
470 朝廷の者に、赤紐付き青摺衣を着用させる
471 わかたける大王(雄略天皇?)が埼玉地方の豪族に鉄剣を与える(稲荷山古墳)。三輪王朝、
応仁王朝、武烈王朝の交代?
476 西ローマ帝国の滅亡
478 倭王興が死に武が即位?
495 北魏に少林寺が造られる
500 武烈帝が妊婦の腹を割き、胎児を見る?
500 この頃、醤油の原形「ひしお」がつくられる
502 中国で仏教が流行する
507 継体天皇が即位するが、都に入れず20年間放浪する?
508 斉州島が百済と公式に国交を結ぶ
509 百済が任那4県の割譲を要求する?
513 百済から五経博士段楊爾が来日し、儒教をつたえる
514 百済が将軍を使節として来日させる?
522 中国から司馬達が来日し、大和高市郡に仏像を安置?
524 百済の聖明王が即位?
527 筑紫君磐井が新羅と結び、大和朝廷と戦う?
530 『文選』。六朝時代の詩を集めたもの
531 安閑帝に譲位。継体死後、継承者争いが起こる?但し日本書紀に争いの記載はない
----- 宣化2年 3年 4年-----
537 大伴狭手彦が任那と百済の救援に向かう?
538 百済の聖明王が仏像と経典を贈る。仏像は金メッキされていた。崇仏派の蘇我と廃仏派の
物部・中臣派が対立する
539 宣化帝没
----- 欽明3年 5年 8年 12年 15年-----
542 イタリアからスペインで疫病が流行
544 南越(ベトナム)が中国から独立。〜602
547 新羅が百済を圧迫
551 百済の聖明王が高麗を討つ?
554 百済から王柳貴が来日。語学教師か
----- 欽明17年 23年 31年-----
556 欽明帝が兵1000人を百済の援軍に派遣
562 伽耶諸国が新羅に併合され、任那日本府が消滅する
562 この頃、カンボジアにクメール族のアンコール朝ができる
570 マホメットがメッカで生まれる
----- 敏達3年 5年-----
574 聖徳太子が用明天皇の第2子として生まれる。北周が廃仏毀釈をおこなう
576 ササン朝ホスロー1世がビザンツ帝国に勝ち最大領域
----- 敏達12年 14年 用明2年----
583 天皇が百済から日羅を招く
585 飛鳥寺を造る。〜596
587 難波玉造の宮。蘇我馬子が物部守屋を討つ
587 マルセイユで疫病が流行
----- 崇峻1年 2年 3年 4年 5年-----
588 蘇我馬子が法興寺を造る
589 中国は随時代となり、六朝時代が終わる。中国の人口は2000万人ほどまで回復する
589 阿倍比羅夫を北陸道巡察に派遣する。船180隻で秋田に至る
590 善信尼らが修行を終えて随より帰国
591 2万人を任那遠征に向かわせるが、軍は九州でとどまる
592 蘇我馬子が崇峻帝を殺す
----- 推古1年 4年 5年 6年 8年 9年-----
593 蘇我馬子により推古天皇が即位。最初の女帝。厩戸皇子が皇太子になる
593 四天王寺を難波で着工。飛鳥文化の時代
596 蘇我馬子により飛鳥寺ができる。本格的な仏教寺院
597 ローマ法王がブリテン島に修道士を派遣
598 随・文帝が高句麗遠征に失敗する
600 随に使者を送る。隋書に日本のことが詳しく書かれる
601 聖徳太子が斑鳩宮をつくり、政務を執る
----- 推古10年 11年 12年-----
602 新羅への出兵を計画。中国から天文書と暦本を輸入
603 冠位十二階制を定める。官吏の階位により服が異なる
603 聖徳太子が万葉集415番の和歌をつくる。日本書紀に記載
604 十七条憲法の制定。中国の元嘉暦を採用し、はじめて暦を用いる。これ以降は年次の特定が可能になる
----- 推古13年 15年 16年-----
605 煬帝が大運河を完成する。聖徳太子が斑鳩に移る
607 神仏混交の始まり(敬神の詔)。法隆寺建立
607 小野妹子が遣隋使となり、国書を煬帝に渡す
608 遣隋使、日本側に記録なし。随・煬帝が答礼使を日本に派遣
----- 推古18年 19年 20年 イスラム教の誕生-----
610 マホメット(40歳)が洞窟で啓示を受け、恐れて逃げ妻にすがりつく。マホメットは人類に遣わされた
最後の預言者であり、それ以前の預言者とはアダム、イエスほか28人
610 高句麗の僧が彩色、紙、墨の製法を伝える
611 『三教義疏』『勝鬘義疏』聖徳太子。如来蔵思想
612 百済からの移住者が180の橋を架ける
----- 推古21年 22年 23年 26年-----
613 『維摩義疏』聖徳太子
614 第4回遣隋使。随書に記録なし
615 『法華義疏』聖徳太子。諸法実相
615 マホメットが信者80人をエチオピアに避難させる
617 随で煬帝に代わり恭帝が即位
618 随の煬帝が殺され滅亡、唐が中国を統一
----- 推古27年 28年 29年-----
619 マホメットは妻が死に、アーイシャ(9歳)と再婚
620 『帝紀』『本辞』聖徳太子、蘇我馬子
621 唐が開元通宝を造り、中国から東南アジアの標準貨幣となる
621 『天寿国曼陀羅繍帳銘』。万葉仮名の原型が見られる
621 聖徳太子が斑鳩宮で死ぬ
----- 推古30年 31年 32年 蘇我氏の台頭------
622 アラビアでヘジラ元年(7/16)。メディナに逃れる。この年がイスラム暦の元年。イスラムとは
「アッラーに対する絶対帰依」を意味する
623 斑鳩に法隆寺が建てられる
623 新羅のみつぎを催促するため、新羅遠征軍を派遣。新羅の朝貢使と途中で会い、以後関係が悪化
624 イスラム勢(総数300人)がメッカの軍を破る。バドルの戦いという
624 蘇我馬子が葛城の領有を願い出るが、推古帝が拒否
624 唐が均田法を実施して、租庸調による税法を定める
----- 推古35年 36年-----
627 唐で貞観の治。〜649
628 推古天皇崩御。マホメットが総員1千余人を率い、メッカに向かう
----- 舒明1年 2年-----
629 三蔵法師・玄奬がインドに出発
630 遣唐使を開始(〜838まで。1回あたり最盛期で、乗員込み600人)
630 マホメットがメッカを無血征服。カーバ神殿の扉を開き、偶像を破壊する
----- 舒明4年 6年 7年 8年 9年------
632 マホメットが信者4万人を率いてメッカを巡礼。マホメットが妻だけにみとられて死ぬ(6/8)。教団は初め
ユダヤ教と融和していたが、迫害され、メッカを向いて拝礼するようになる
632 遣唐使が帰国
634 イスラム教団が全アラビアを統一
635 サラセン帝国がダマスカスを占領
636 朝廷が役人の勤務時間を朝6時から正午までにしようとしたが、蘇我蝦夷が従わない
637 サラセン帝国がエルサレムを占領
----- 舒明11年 12年 13年-----
639 天皇が百済宮に移る。百済大寺を造り始める
640 サラセン帝国がシリア全土を平定
640 密教の「大日経」と「金剛頂経」が成立。年次は不明
641 舒明帝が死ぬ。サラセン帝国がエジプトを占領
----- 皇極1年 2年 3年-----
642 サラセン帝国によりササン朝ペルシアが滅亡
642 蘇我蝦夷が自身の墓と子・入鹿の墓を造るため、180部曲の民を使役する
642 蝦夷数千人が服属のため都にいたり、宴会で歓待される。3日後、蘇我邸でも天皇に張り合って歓待する
642 日照りが続き、雨請いの行をするが効果がなかった。天皇が雨請いをしたら大雨が降った
643 飛鳥板蓋宮。蘇我入鹿が故聖徳太子の一族を滅ぼす
644 サラセン帝国の2代目カリフウマルが暗殺され、ウマイア家のウスマーンが後継。カリフとは「後継者」を
意味する
----- 大化1年 2年--------
645 玄奬がインドから中国に帰国
645 これ以前の「姓」の序列は臣、連、首、君、直
645 中大兄皇子と藤原鎌足が、曽我入鹿を殺す(5/12)
645 蘇我邸にあった『帝紀』『本辞』が焼失。なぜ皇居になかったか?
645 武蔵国を置く。「隣保制」〜村単位の相互共同関係
645 九州全域を筑紫国とし、太宰府長官が統治する
646 改新の詔を発布
646 駅制をつくる。原則として4里ごとに駅をもうける
646 サラセン帝国がメソポタミアを平定
----- 大化3年 4年 5年-----
647 冠位を13階制とする。淳足の海岸(新潟市)に柵をつくる
648 磐船の海岸(新潟県村上市)に柵をつくる
648 旧唐書で、倭が日本と改めたこと、使者が来たことを記録
649 冠位を19階制とする
649 新羅が服制を唐風に改める
----- 白雉1年 2年-------
650 穴戸(=長門)の国司が白い雉を朝廷に届けたので「白雉」と改元(2)。朝廷は瑞祥であると
必要以上に大げさに祝う
651 ルーアン教会会議。ミサの間に信者が騒ぐので、見張りを置くことを決定
651 ウマイア朝が唐に使節を送る
651 新羅の使者が筑紫に来る。使者が唐風の服だったので怒り、追い返す
651 朝廷が僧尼2100人を呼び「一切経」を読ませる
----- 白雉4年 5年-----
653 第2次遣唐使。船2隻、総員242人。これは大規模で、唐の圧力を感じていたための対策か
653 道昭が唐にわたり、玄奘から法相宗、唯識をまなぶ
654 唐に再度使節を送り、琥珀と瑪瑙(めのう)を献じる。
654 孝徳帝が死に、皇極帝が重祚して斉明帝となる
------ 斉明1年 2年-----
655 飛鳥板蓋宮で斉明帝が即位。瓦葺きの宮殿を造る
655 百済、新羅から使者が朝廷を訪れる
656 マホメットの従弟でハーシム家のアリーが正統カリフに就任。シリア太守でウマイア家のムアーウィアは
これを認めず対立し、ダマスカスでカリフと称する。アリーの支持者はシーア派と呼ばれる
----- 斉明4年 5年 6年 日本の統一 ----
658 有間皇子の謀反嫌疑(11/3)、万葉集141〜142番
658 のちの持統帝で天智帝の娘が、天智の弟・大海人に嫁ぐ
659 第4次遣唐使。2隻で8/11出航、うち1隻が9/16着。もう1隻は行方不明。唐が百済攻撃のため、
遣唐使を幽閉する
659 百済と高句麗が新羅の20余城を奪う。新羅は唐に出兵を要請
660 阿倍比羅夫が石狩川まで行き、沿海州からの勢力と戦う。北海道はまだ縄文時代
660 唐の13万人が新羅を助け百済の首都を落とす。日本は百済救援を決定
660 山上憶良が生まれる?
660 水時計がつくられる(6/10)時の記念日の故事となる
----- 斉明7年------
661 朝廷軍が新羅討征のため熟田津に到着(1/14)万葉集8番
661 博多港に新羅討征軍を結集(3/25)
661 サラセン帝国のアリーが暗殺される、ここまでを正統カリフ時代という。ウマイヤ朝がおこる
661 この頃、スマトラ南部にシュリービジャヤ国が創られ栄える
661 斉明帝が死に(7/24)中大兄皇子が称制
----- 天智1年 2年 3年-----
662 日本が旧百済の王子に兵5000人を付け、半島に送る(1)
663 白村江の戦い(8/27)日本・百済連合軍が、唐・新羅連合軍に敗れ、百済は完全に滅亡する。
百済人多数が日本に亡命する
664 日本防衛のため北九州に防人をおき、水城を築く。防人は大化改新詔による兵制で任期3年
664 唐が百済派遣の将軍を日本に送る(5)、中大兄皇子と面会し帰国
664 太宰府が博多から現在地に移される。冠位を26階制とする
----- 天智4年 5年 6年------
665 大伴旅人が生まれる〜731
665 百済遺民400人を近江国神崎郡に置く
665 唐が本国から使者を派遣、朝廷は大規模な軍事演習を実施
665 太宰府の大野山に朝鮮式山城・大野城を築く(8)
665 武昭儀が皇后(33歳または27歳)になる、のちの則天武后
666 中大兄皇子が北九州から大和に帰還
666 武昭儀が皇太子を殺し、わが子の弘を皇太子にする。さらにのち弘を殺し、次々と皇太子を
取り替える。さらに気に入らない重臣を罷免または左遷
667 近江の大津京へ遷都(3/19)
667 防衛のため、対馬と讃岐・屋島に城を築く
----- 天智7年 8年 9年------
668 天智天皇が即位(1)。行基が河内に生まれる(〜749)
668 近江朝廷令〜庚午年籍と官職名はこれによる
668 天智天皇が蒲生野に遊猟(5/5)、万葉集20番(額田王の歌)
668 唐・新羅連合軍が高句麗を滅ぼし、新羅が朝鮮を統一
668 日本は新羅と国交断絶
669 藤原鎌足が死ぬ(10/16。614年〜)
670 法隆寺が全焼し、数年後に再建がはじまる
670 上野、常陸から九州までの規模の戸籍を初めてつくる〜庚午年籍という
----- 天智10年 天武1年 2年-----
671 唐が白村江の捕虜を47隻の船で送還する
672 壬申の乱。大海人皇子が吉野で挙兵(6/22)琵琶湖畔瀬田で決戦(7/23)
673 大海人皇子が飛鳥浄御原宮で即位する(3/27。天武天皇)。近江側の有力豪族が没落する
----- 天武4年 5年 6年-----
675 豪族が私有部民をもつことを禁じ、公民制を図る
676 新羅が唐を追い出し、朝鮮半島を統一
676 宇治川に橋が架けられる
677 天皇が種子島からの使者に会い、天皇が自ら饗宴で接待する
----- 天武8年 9年-----
679 親王、諸臣、百寮に武器と馬を蓄えることを命じる
679 朝廷が種子島に使者を派遣
680 サラセン帝国でウマイア家の権力が確立
680 七夕の歌が万葉で歌われる。薬師寺の着工
680 天皇が、種子島に使者を派遣する
680 『金光明経』が宮中と諸寺で講義される。護国思想
----- 天武10年 11年------
681 中国でキリスト教会の長安大秦寺が建てられる
681 『帝紀』と『本辞』の写本が誤りが多いと天皇が気づき、稗田阿礼に暗記を命じる
681 浄御原律令をつくりはじめる
682 全国のおもな神社を修理させる
682 天皇が、種子島からの答礼使に会い、天皇が自ら饗宴で接待する
682 新字「1部44巻」をつくらせる
----- 天武12年 13年 14年-----
683 銀銭と銅銭を造る。天皇が詔勅で自ら「日本根子天皇」と明記する
684 八色の姓を制定する
685 筑紫に派遣された防人が遭難。全国民に仏を安置し拝むよう命じる
----- 持統称制 朱鳥1年 持統3年------
685 天武帝が死ぬ(9/9)、持統帝が称制
685 大津皇子の謀反(10/2)、万葉集105〜106番
686 改元、朱鳥元年とし、翌年を即位前であるが持統元年とされる
689 飛鳥浄御原令が完成し、諸司に頒布される。これにより法治国家の基礎が固まる。令は現存しないが、
大宝律令とほぼ同じ内容か
689 太政大臣の制度を始める。日本という国号が制定される?
689 柿本人麻呂の作歌と分かる最古の歌が詠まれる
689 囲碁と双六が禁止される
----- 持統4年 5年 6年-------
690 持統帝が即位(1)。日本の君主名を天皇と呼ぶ
690 武昭儀が帝位につき則天武后となる。朝鮮半島から多数が帰化
690 伊勢神宮の第1回式年遷宮、以後20年ごとに現代に至る
690 この頃、九州が日向、肥後などの国に分かれる
691 大嘗祭を行う(11)
691 音博士を置く。仏典を中国・長安の発音で読むため
692 持統天皇が伊勢に行幸。藤原京の地鎮祭を行う
693 百姓に黄色の衣を着せる
----- 持統8年 10年 11年-----
694 藤原京が完成し遷都(12)。『金光明経』百部が諸国に送られる
696 ウマイヤ朝が金貨を発行、4.25グラム品位97%と良質。通貨への高い信用から手形決済が行われ、
商業が発展する
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年表04
697 造営中の薬師寺で、天皇が仏像の開眼供養(7/29)
697 持統帝が譲位し、太上天皇となる。『日本書紀』はここまでを記載
----- 文武2年 3年 4年-----
698 渤海国が建国し、日本と通商。薬師寺建立
699 役小角が伊豆に流される。諸国に巡察使を派遣(11)
700 日本で初めて火葬が行われる(3)
700 この頃、コーランが1冊の本として編集し終え完成する
----- 大宝1年 2年 4年-----
701 大宝律令の公布で、日本は法治国家としての体裁を整える。同法の「学令」で学校制度を整える
701 陸奥で金の産出が始まる。遣唐使を32年ぶりで再開し、則天武后に、倭という国号をあらため
「日本」としたことを伝える
701 李白が生まれる。〜762
702 持統太上天皇が崩御
702 第7次遣唐使(6)。山上憶良も派遣される
704 遣唐使が帰国(7)
----- 慶雲2年 和銅1年 2年-----
705 イスラム勢力が中央アジアに進出
708 武蔵国・秩父で銅が初めて産出し、朝廷に献上される。元明帝が改元。和同開珎を造る
708 この頃、柿本人麻呂が石見で死ぬ、生没は不明
709 筑紫観世音寺造営の詔(2)
----- 和銅3年 4年 奈良時代-------
710 平城京に遷都し、奈良時代となる。興福寺が奈良に移る
710 大伴旅人が左将軍になる
710 イスラム軍がインド、アフリカに侵入
710 味噌の原型「未醤」がつくられる
711 イスラム軍がイベリア半島を支配する(西ゴート王国の滅亡)
711 私銭をつくった者を斬刑にする。豪族の山野私有を禁止する
711 都を造営中の民が多数、逃亡する
----- 和銅5年------
712 太安万呂により『古事記』が完成し、元明天皇に献上される。執筆は四カ月、準備期間は三十年
712 都を造営の民が多数、餓死する(1)。出羽国を置く
712 杜甫が生まれる(〜770)
712 唐の玄宗皇帝が即位する(〜741は、開元の治で、唐は隆盛)。広州にはイスラム商人など
10万人の外国人が住む
----- 和銅6年 7年------
713 朝廷による隼人征討。麹で酒が造られる
713 大和で銅鐸が出土する、しかし使途が分からなかった。続日本紀
713 木曾街道が完成。『続日本紀』
713 元明帝が諸国に風土記編纂を命じる
713 『丹後国風土記』〜「浦島太郎」説話を収録
714 唐で玄宗皇帝が仏教を禁止する
----- 霊亀2年 3年-----
716 山上憶良が伯耆守になる。大伴家持が生まれる
716 渡島と出羽の蝦夷が馬千匹を朝廷に献上する
717 第9次遣唐使。阿倍仲麻呂、吉備真備
----- 養老1年 2年----
717 真言宗が中国から日本に伝わる
717 藤原不比等の娘が聖武帝に嫁ぎ、光明皇后となる。皇族以外で初の皇后
718 養老律令の制定。藤原不比等による
718 発酵による寿司がつくられる
----- 養老 3年 4年-----
719 インド僧金剛智三蔵が長安に入り密教を広める
720 舎人親王らが『日本書紀』完成(朝廷の公式な歴史書)
720 大伴旅人が征隼人持節大将軍となり隼人を征伐
720 中国で5カ月間の旱魃。玄宗皇帝は仏教の祈祷の効果を疑う
720 僧侶に対し、経典を漢音で読むよう指示。呉音が主流なので修正させようと試みた
----- 養老7年------
723 隼人征伐の労により3年間の税・労役免除
723 「三世一身法」で墾田の私有を認める
723 金剛智三蔵が密教経典の漢訳を始める
----- 神亀1年 2年-----
724 東北進出のため多賀城が創建される(行政機構を兼ねる)
725 インド僧善無畏が『大日経』を中国語訳をする
725 宇佐神宮に建物が建てられる。不確実な話
----- 神亀3年 4年 5年----
726 山上憶良が筑前守となる
727 渤海国使が来朝。聖武帝が難波宮を造営
728 大伴旅人が太宰帥(長官)となり赴任
----- 天平1年 2年-------
729 長屋王の変。藤原氏が国家転覆の罪をきせた事件
730 奈良薬師寺の東塔が創られる。高さ33メートル
730 防人の廃止、全面廃止ではない
730 大伴旅人が太宰府で梅花の宴をひらく。万葉集822番他。大伴旅人が大納言になる
730 婦人服に唐式を採用。参議以上について夏冬の衣服の区別する
----- 天平4年 5年 6年------
732 ツール・ポアチエの戦いでサラセン軍がフランク王国に敗北
733 秋田城が創建される。出雲国風土記が成る(713〜)
733 遣唐使が出発(4)
734 赤米で酒を造る。正倉院文書『尾張国正税帳』にみられる
----- 天平7年 8年 9年-----
735 楊貴妃が玄宗皇帝の後宮に入る(解語の花と呼ばれる)
735 吉備真備が唐から帰国(18年間滞在)、正六位下大学助教になる
736 阿部継麿が遣新羅使の大使に任命される(2/28)
736 葛城王を臣下にし、橘姓を与える(11)。インドのバラモン僧菩提僊那が来日し、聖武帝から
歓待される。弟子は仏哲
737 遣新羅使が帰国(1/27)
737 壱岐、対馬防衛を筑紫の兵に交代し、東国からの防人3000人を帰郷させる
737 聖武帝が宇佐使をもうけ、その後恒例として派遣される
----- 天平10年 11年 12年-----
738 国分寺が建立されはじめる
739 諸国の兵の徴集を停止(6)
740 太宰府次官(太宰少弐)藤原広嗣が反乱を起こし、破れる
740 楊貴妃が玄宗皇帝の後宮に入る
----- 天平13年 14年 15年-----
741 国分寺、国分尼寺建立の詔(みことのり)
741 金剛智三蔵がインドへの帰国許可を得るが死亡
742 李白が玄宗皇帝に仕える
742 太宰府を廃止。聖武帝が紫香楽宮を造営
743 紫香楽宮で廬舎那仏造営が計画される。聖武帝が奈良に帰る
743 墾田永世私財法により墾田の永久私有を認める
743 筑紫に鎮西府を置く(12)
----- 天平16年 17年 18年------
744 聖武帝があちこちをうろつき回る
745 宇佐神宮より大仏造営資金が朝廷に送られる
745 奈良の大仏着工。太宰府を再度設置する。再設置は宇佐神宮と関係あるか?
745 藤原仲麻呂が近江守となる
745 姓のない人たちに姓を名乗ることが許される
746 大伴家持(29歳)が越中守となり赴任(〜751)
746 太宰府で観世音寺が完成。九州で最大規模
----- 感宝1年 2年-------
749 陸奥で砂金が大量に採れるようになる、朝廷に献上される。朝廷は狂喜し
改元する。献上する人には調庸
の免除と位階昇進、姓を与えて報いた
749 政府軍が南九州を征伐。この時初めて神輿が考案され、宇佐八幡を担いで戦う。聖武帝が譲位し、孝謙
帝が即位(7)
750 この頃、中国僧が天台宗を伝える
750 アッバース家がウマイヤ朝を倒しイスラム帝国を築く。多数のスンニ派と少数のシーア派との対立が始ま
り、現在に至る
750 バグダッドでギリシア、インド、イランの古典をアラビア語に翻訳開始。哲学、医学、数学、文学など百年か
ける。ゼロの採用とアラビア数字の考案
------ 勝宝3年 4年----
751 ピピンがカロリング朝を開く。その子カール大帝が西欧の大半を領有する〜フランク王国の成立
751 東大寺二月堂でお水取り(修二会)が始まり、現在に至る
751 漢詩集『懐風藻』
751 唐とイスラムが中央アジアのタラスで戦い、唐が破れる。このときの捕虜がイスラム圏に製紙法を伝える
752 奈良の大仏完成(メッキ用の金が不足する。インド僧が開眼供養を行なう)
752 第10次遣唐使が出発、吉備真備が副使。遣新羅使の人選
752 楊貴妃の一族、楊国忠が宰相になる
752 安禄山(節度使=辺境軍司令官)が契丹を討つ
----- 勝宝5年 6年------
753 僧侶の質を高めるため、鑑真和上を第11次遣唐使船で日本に招く(阿倍仲麻呂が帰国のため乗った船
は、安南に漂流)
754 第10次遣唐使?。囲碁が禁止される
754 吉備真備が太宰大弐になり、筑前に怡土城を築く
754 大伴家持が兵部少輔(次官)になり、防人の歌を集める。この頃、防人の総数は3000人ほど?
----- 勝宝7年 8年------
755 唐で安禄山、史思明の乱(〜763)。日本は渤海と連合し新羅を攻撃しようと計画するが、立ち消えになる
755 フランクの小ピピンが銀本位制を採用
755 東大寺に戎壇院をつくる〜『氷輪』を参照
756 コルドバに後期ウマイヤ
----- 宝宇1年 2年 3年-----
757 サマルカンドに製紙工場がつくられ、イスラム圏からヨーロッパまで紙が急速に普及する
757 東国防人の派遣を止める。路次の負担軽減のため
757 唐が長安と洛陽を奪回
758 鑑真が僧綱を辞任する〜『氷輪』を参照
758 坂上田村麻呂が生まれる
759 唐招提寺金堂ができる。新田部親王の旧宅
759 新羅征伐のため、諸国に造船を命じる(9)
759 万葉集の最後の歌を、因幡守大伴家持がつくる
----- 宝宇4年 5年 6年-----
760 金貨、銀貨、銅貨をつくる
761 遣唐使船が安芸でつくられる
761 孝謙太上天皇が弓削道鏡と大津で同棲する
761 下野薬師寺と筑紫観世音寺に戒壇院がもうけられる。三戒壇の成立。受戒はこれら三カ所でおこなわれる
762 草仮名による文書が作られる。正倉院文書。草仮名とは漢字と平仮名の中間形
762 アッバス朝2代カリフがバグダッドを首都に定める
----- 宝宇7年 8年 神護2年------
763 鑑真和尚が死ぬ。藤原家は内紛で権力が低下
763 『当麻曼陀羅』当麻寺所蔵。チベット軍が長安を占領。安録山の乱がやむ
764 藤原仲麻呂が孝謙太上天皇に反乱し、琵琶湖畔で殺される。吉備真備は討伐の功で参議に昇格。淳仁
天皇は廃位
764 孝謙太上天皇が重祚し、称徳天皇として即位。道鏡をそばにおき、国費を濫用する
764 弓削道鏡が実弟を太宰帥に任命する。年度は不明
----- 景雲1年 宝亀1年 3年-------
767 最澄生まれる(〜822)。以下、年齢が合わない〜『雲と風と』を参照
767 唐で、恵果が金剛界法と胎蔵法を受ける
770 称徳女帝が崩御。道鏡は地位を剥奪される。この頃、歌垣の習俗が消える
770 ベトナムの僧仏哲が、古代インド語・梵字の研究法を日本にもたらす。日本語の音韻表記に貢献
770 阿倍仲麻呂が唐で死ぬ(鎮南都護まで昇進する)
772 白楽天が生まれる(〜846)
----- 宝亀4年 5年 6年-----
773 山部皇子が皇太子になる
774 空海が讃岐に生まれる(〜835)、最澄が仏門にいる、または村の「小学」に入り陰陽や医学を学ぶ(7歳?)
774 朝廷と蝦夷の30年間の戦いが始まる
775 遣唐使船が安芸でつくられる
----- 宝亀7年 8年 9年---
776 最澄が近江国分寺にいる(12歳?)
776 唐で、恵果が皇帝より国師の称号を得る
777 恵果が皇帝より師位を受ける
777 最澄が法華経を読む(15歳?)
778 唐からの最後の押送使が京にくる
----- 宝亀11年 天応1年 延暦2年-----
780 多賀城が、蝦夷の攻撃で壊滅する
780 最澄が得度し僧になる(18歳?)。証明書は「度縁」という
781 桓武天皇が即位(4。山部皇子改め)45歳
783 婦人の朝服が乱れ、庶民が禁色を着用し、朝廷が正す
----- 延暦3年 4年 5年-------
784 大伴家持を征東将軍に任命し、多賀城に向かわせる
784 桓武天皇が長岡京に移る
785 最澄が東大寺戒壇院で受戒する(4)、証明書である「戎牒」は現存する。最澄は同年、比叡山にこもる
786 この頃サラセン文化が全盛
----- 延暦7年 8年-----
788 畿内が旱魃におそわれる
788 比叡山に一乗止観院が建てられる。根本中堂の原型となる
789 朝廷が東北に52,000人(?)で遠征しアテルイに敗北
----- 延暦10年 11年 12年-----
791 空海が大学を辞める
792 諸国一律の軍団兵士制を廃止。将校の軍団私物化を除くため
793 桓武が諸国に3日間の殺生禁断を命じる
----- 延暦13年 14年 平安時代------
794 円仁が下野に生まれる。
794 平安遷都(10/22)〜10/22とは陰陽道で辛酉つまり「革命」の日で、桓武帝は陰陽道を支持していた
(永井路子説)
794 チベットで初めての本格寺院サムイェーが建てられる
795 壱岐、対馬以外の防人を廃止
----- 延暦15年 16年 18年------
796 桓武天皇が僧40人に宮中で法要をさせる
797 『三教指帰』空海。道教、儒教より仏教が優れていると説く
797 桓武天皇が最澄を知る、最澄が欠員の十禅師に補任される
----- 延暦19年-----
800 この頃、イタリアに人造都市ベニスが建設される
800 故早良親王を崇道天皇と追称する〜『悪霊列伝』を参照
800 バグダッドは盛時には人口150万人となる。『アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)』の原型ができる
800 ローマ教皇がカール大帝にローマ皇帝の帝冠を授ける
800 朝廷が薩摩、大隅を鎮圧し、班田を実施する
800 この頃、インドの密教が性的行為をとりいれる
----- 延暦20年 21年 22年------
801 第16次遣唐使。出発は23年
801 最澄が比叡山に南都の僧18人を招き講筵を行う
801 坂上田村麻呂が胆沢城(岩手県水沢市)を築き、アテルイを降伏させ、東北地方を制圧する。
東北が日本の一部として認識されるようになり、北海道がアイヌとして区別される
802 カンボジアでジャヤバルマン2世がアンコール朝を再統一
802 最澄が高雄山(現在の神護寺)で天台三大部を講義する。『法華玄義』 『法華文句』『摩訶止観』の三部
803 遣唐使(4)、瀬戸内で失敗し中止
----- 延暦23年 24年-----
804 遣唐使。最澄が天台山を訪ねる。壱岐の防人を廃止
805 空海が長安に着き、恵果(746〜805)に師事
----- 大同1年 2年 3年-----
806 最澄が百人余りに授戒する、日本天台宗の開創。その後密教に興味を持つ
806 空海が長安を出て帰国
807 『古語拾遺』斎部広成。斎部氏の古伝説を勅命で著した
808 円仁が最澄の弟子になる
----- 弘仁1年 2年 3年------
810 空海が東大寺別当となる
810 蔵人所の設立。最澄が伝灯法師位を授けられる
810 薬子の変。藤原仲成・薬子兄妹が平城遷都を画策、嵯峨天皇に鎮圧される
811 旱魃のため、最澄に勅命で祈祷させる(4/26)
812 空海が高雄山に移る。空海が最澄らに金剛界潅頂を授ける
812 空海が讃岐で満濃池を改修する
812 京都神泉苑で「花宴」が開かれる。観楼のはじめ
----- 弘仁4年 5年 6年-----
813 円仁が官試に及第する
813 最澄が興福寺で法相宗学僧と法論
814 はじめての勅撰漢詩集『凌雲集』〜782年から814年までの24人の91首
814 円珍が生まれる(〜891。天台宗)
815 最澄が天台教学の書写を終える
----- 弘仁7年 8年 9年-----
816 円仁が東大寺で具足戒を受ける。検非違使の設置
816 空海が嵯峨帝から、高野山に密教道場を建てる許可をもらう
817 最澄が弟子たちと東国を旅する
818 勅撰漢詩集『文華秀麗集』。唯美的
818 「山家学生式」の制定。最澄
----- 弘仁11年 12年 13年 14年-----
820 空海が伝灯大法師位を授けられる
820 この頃、小野小町が生まれる〜830年までの間の説あり
821 藤原冬嗣が一門の教育のため、勧学院をつくる
821 『略付法伝』空海(9/6)。真言密教の系譜を書いたもの
822 最澄56歳が死ぬ(6/4)、没後、比叡山が南都から独立
823 比叡山寺が勅命で延暦寺に改称される
823 空海が東寺別当に任命される
823 宇佐神宮の社殿が完成する
----- 天長1年 2年 3年 5年-----
824 太宰大弐の建言で、種子島を大隅国に併合
825 在原業平が生まれる〜51代平城天皇の孫で阿保親王の子
826 防人制を完全に廃止。業平と行平が在原姓を賜る
828 空海が綜芸種智院を設立。大学や国学に入れない人のため。律令制度では大学
とは官吏養成機関、
国学とは地方官吏または庶民の子弟を教育し、地方官吏にするもの
----- 天長6年 7年 9年-----
829 イングランドに統一王朝ができる
829 円珍(空海の甥)が比叡山に登る
829 東北地方で病疫の流行
830 出羽で大地震
832 空海が高野山に移る
----- 承和1年 2年 3年-----
834 第17次遣唐使の大使と副使が任命される
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